日本人の3つのタブー~歴史編~2019年11月01日 23:02

国史
~タブーその2 歴史~
日本人の会話でふたつめのタブーは「歴史」、特に近現代史だ。
そもそも我々日本人が学校で学んだ歴史はせいぜい大正時代くらいで時間切れとなり、大東亜戦争につながる近現代史をしっかり教えてもらっていない。この時代は特に各国の主張や立場が2分することもあり、日本人は特に苦手とするところだ。
ある時東南アジア各国の方々を招いて勤め先の施設を案内する機会があった。バス移動の際参加者のうちのイスラムのベールを付けた女性が私の隣に座った。ふとしたことから韓国の話になり、「戦前日本は韓国を併合し、韓国は日本に組み込まれた。日本の国家予算の相当額を韓国に投入しインフラを整備し国を豊かにした。国立大学も設立し朝鮮人にも学ぶ機会が与えられた。しかし、戦後になって日本は韓国から恨まれ、今でも両国の関係は悪い。」と説明した。「あなたの国マレーシアではどうですか?」と尋ねたら、「私はマレーシア人ではありません。インドネシア人です。インドネシアとマレーシアも両国の関係はあまりよくなく、ちょうど日韓関係みたいなものです」と言って、インドネシアとマレーシアがどうして仲が悪いのか説明してくれた。ベールをかぶっていたのでてっきりマレーシア人かと思ったら仲の悪いインドネシア人と間違えてしまったようで、「大変失礼しました」と詫びで、その後も会話が弾んだ。
私はこういう一対一の話でも歴史における日本の立場をテーマにするのは一種の民間の「ロビー活動」だと思っている。一人でも多くの外国人が日本のことを理解してくれればと、敢えて歴史について話すようにしている。

日本人の3つのタブー~宗教編~2019年11月03日 22:22

お祈り
~タブーその3 宗教~
日本人は外国人から「あなたは(もしくは日本人は)何の宗教を信仰しているのか」と聞かれたら、だいたい「特に信仰している宗教はない」と答えるのが大方だろう。普段は神社に行って願い事をし、結婚式はキリスト教で上げ、葬式は仏教で、と〝TPO″に合わせて使い分けているからだ。キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教を信じる外国人にとって、日本人が「特段の信仰もなく生きていること」は「よりどころなく生きている」ことと等しく理解に苦しむらしい。
新渡戸稲造もドイツ留学の際に同じようなことを聞かれ、同様に日本人は特に信仰する宗教はないが、生き方のよりどころになるのが武士道であると説明した。
私も以前なら日本人の宗教は「特になし」と答えていたが、今なら、「神道」だと答えるだろう。
神道はもともと、山や太陽、岩、樹木など身近な自然を崇拝するところから始まり、崇拝対象が「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言われる所以である。従って世界の主要な宗教のように1つの絶対的神がいて何かを認め、その他は認めないといった排他的側面もない。神道はすべてのものを神と崇め感謝する非常に懐の広い原宗教である。神社は何かをお願いするところというよりも感謝しに行く場所であり万人を受け入れてくれる。だから神社はお寺のように門もなく、いつでも誰でも受け入れてくれる場所なのである。その神社の「大祭司」が日本の天皇であり、天皇陛下は国と万人のために祭祀を行い常に祈る存在なのである。
このたび長崎の「隠れキリシタン」が世界遺産に登録され脚光を浴びているが、キリスト教がもともと日本に入ってきた時も、最初は織田信長も豊臣秀吉もキリスト教とはどのようなものか宣教師から話を聞いたり一部布教活動を許していた。ところが、キリスト教はキリストを唯一の神として崇拝する宗教であるが故に、日本の信徒がお寺や仏像、祠を壊しはじめ、宣教師に付いて来た商人が日本人を人身売買で奴隷として連れ去ろうとして、キリスト教の排他的負の側面が露わになってきた。とかく迫害され踏み絵を踏まされる悲劇の隠れキリシタンだけが紹介されがちだが、そこに至るまでの「プロセス」も歴史においては非常に重要である。

[●] 日本の祭日2019年11月04日 22:55

日の丸
敗戦後の昭和22年GHQの占領下で日本は法律上「祭日」という呼称を廃止させられ「祝日」と呼ぶことになった。祭日とは、皇室や神道祭祀に関係ある日だからGHQにとっては都合が悪く、戦後80年経った今でも、日本のメディアはGHQの意志を後生大事に守り、特に皇室に関係あるこれら祭日の由来についてあまり紹介したがらないような気がする。
昨日の11月3日は「文化の日」だったが、戦前「明治節」と言って明治天皇の誕生日だった。文化勲章受章のニュースは流れても明治天皇の誕生日だとはどこも報じない。
4月29日は昭和天皇の誕生日(天長節)であったが、崩御後「みどりの日」となり、昭和天皇をしのぶ国民らの運動により「昭和の日」と改名された。
11月23日は「勤労感謝の日」で、昔小学校では、「働いているお父さんお母さんに感謝しなさい」と先生から言われたものだが、戦前は「新嘗祭」(にいなめさい)と呼ばれ、今でも全国の神社で行われる「収穫祭」で大切な行事である。宮中では天皇陛下がその年獲れた「新米」を神様に捧げ一緒に食事をする祭祀である。
「春分の日」と「秋分の日」も皇室では「春季皇霊祭」と「秋季皇霊祭」といって皇室のご先祖さまに尽くすお祭りだ。
2月11日の「建国記念日」はもともと「紀元節」といって初代神武天皇が2680年前に即位された日とされている。

「建国記念日」と言えば、アメリカ然り、中国然り、どこの国でも大々的に国旗を掲げて国民全体でお祝いする。日本の今の日本人だけがなぜこの日が建国記念日なのかもよくわからず、テレビでも一切報じず、家々に日の丸を掲げることもなく、静かに過ぎ去っていく日である。戦後レジームの呪縛から早く脱却してみんなでお祝いしたいものだ。

~国境の町~尖閣諸島2019年11月06日 22:42

魚釣島
数年前,、尖閣諸島に行くツアーがあるというので参加した。本州からの飛行機代も含め全部込みで13万円、ちょっとした海外旅行代金だった。それでも個人で行くのは難しいので躊躇なく申し込んだ。
石垣港を夜漁船で出航し、片道約6時間かけて魚釣島へ向かう。島育ちなので船には自信があったものの、小さな漁船でしかも流れの速い東シナ海となると船酔いが最大の心配だった。よく効くという強力な酔い止めを出航前に飲み、横になってウトウトと過ごした。
明け方になって同乗の女性参加者の悲鳴で目が覚めた。魚釣島が朝日とともに眼前に広がる風景に叫び声を上げたのだった。と同時に、こちらは酔い止めの効果がちょうど切れたタイミングでもあり、急にムカムカしてきた。慌てて追加で酔い止めを飲んだが間に合わなかった。嘔吐しながらも目の前の魚釣島に感動して必死で撮影する。まっすぐの水平線にまさしく尖った楼閣のように突き抜ける島々の影。先人が「尖閣」と名付けた所以だ。
海上保安庁の船に監視されていたため、上陸はできない。尖閣諸島の風景を楽しみながら沖で釣りを楽しんだ。波が多少荒かったため、大漁とまではいかないが、カツオが何匹か釣れ、船長がその場で刺身にして出してくれた。ムカムカは続いていたが、思い出にと刺身をいただいた。
ほんの数年前まではこうやって漁船をチャータ-すれば行けた尖閣諸島だが、今は海上保安庁が日本の漁業従事者にさえ航行自粛を求め、その代わりに中国公船や軍艦が毎日のように尖閣周辺の領海を大手を振って侵犯している。日本が遠慮するから、お隣さんはどんどんつけこんでくる。海保が「入ってくるな」と中国語で警告放送してもあちらさんは何とも思っちゃいない。鼻で笑って終わりだ。本当に侵犯してほしくなければ、実力行使でギャフンと言わせないと相手は分からない。あの小さな国パラオは領海侵犯した中国漁船に砲弾を発射し、漁師を拘束逮捕し裁判にかけた。それ以来中国漁船はパラオにパッタリ来なくなった。日本の常識が世界の非常識なのだ。我々日本国民が日本の領海を自由に航行し釣りができる日を早く取り戻してほしいものだ。

[●] 天皇陛下即位 奉祝まつり2019年11月09日 22:10

秋田の奉祝竿灯
政府と奉祝実行委員会主催の天皇陛下即位奉祝まつりに行ってきた。全国から伝統芸能、神輿が集まり皇居前内堀通りを練り歩く。
岩手盛岡から来たさんさ踊りは男女が花笠をかぶり、太鼓を抱えながら速いテンポのお囃子に合わせて全員が一糸乱れぬ同じ動きで全身を使って踊る。その動きは見ていても相当ハードなのだが、額に汗にじませながらも全員が笑顔で実に楽しそうに踊る。
次は秋田の竿灯だ。今回初めて見るまでは、単に提灯のデコレーションを掲げて練り歩く、ぐらいにしか考えてなかった。が、とんでもない。何十キロもあるだろう提灯の装飾を長くしなった竹竿一本で支え、更にその竹竿を片手で持ったり、おでこに乗せたり、腰に乗せて竹竿一本で提灯のバランスをとる。疲れて来たら掲げたまま仲間にうまくバトンタッチする。今日の竿灯の提灯は即位奉祝特別仕様。丸の内の摩天楼街の青空を突き抜け実に美しかった。
全国から国民が上京し、このように皇居前で二重橋に向かって踊りを天皇陛下に奉納し即位を奉祝する姿を見ていると感動が込み上げてきた。今度は是非それぞれの地元へいって、本場の祭りを見てみたい。

天皇陛下即位 国民祭典~万歳三唱~2019年11月10日 18:33

天皇陛下即位 国民祭典万歳三唱
奉祝まつりの後は政府主催の国民祭典が二重橋前の皇居広場で始まった。来賓と事前に申し込んだ国民3万人以上が集まった。私は前段の奉祝まつりを最後まで沿道で看ていたため、祭典会場への入場が遅くなり、端の末席で大スクリーンを通してメインステージの様子や橋に立つ天皇皇后両陛下を拝謁した。
天皇皇后両陛下は1810に皇居内から外の橋の上までお出ましになり、橋の上から参列した国民やメインステージを約30分ご覧になる形だった。
報道では奉祝曲第三楽章の「嵐」による歌唱に雅子皇后陛下が涙ぐんだとあったが、第一楽章のオーケストラのところから既に目が潤んでおられたと思う。
安倍首相の祝辞や参列者3万人の国歌斉唱ののち、最後に伊吹文明衆議院議員の万歳三唱で、参列者全員が後に続いた。
正しい万歳三唱の所作は、手のひらを内側に向かい合わせにして両腕をそのまま真っすぐ上げる。決して両手のひらを正面に向けてはいけない。手のひらを正面に向けたまま両腕を上げると、ギブアップ、敗残兵になってしまうからだ。ステージ上の「嵐」の若いメンバーもしっかり手のひらは内側に向けて両腕を上げていた。誰かがちゃんと彼らに事前打ち合わせしたのだろう。
万歳三唱が終わって、生の吹奏楽が流れ始めると、更に「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」の先導音声が何度も流れた。私の周りにいた参列者も、「1回じゃないの?」と苦笑と戸惑いながらも万歳を続けた。天皇皇后両陛下が皇居内へ戻られるまでずっと続いた。
この何度も万歳三唱を参列者に「強要」することについて、予定外?いや運営側は予定外ではないとの発表、参列者からは何度もやらされ怖くなった、など批判的なコメントばかりが翌日のマスコミネットニュースで報道されていた。
私もその場にいて、「まだ続くんだ」と思いながら繰り返し万歳をしたが、あの万歳の繰り返しは運営側がしっかり計算しつくした絶対必要な万歳であることを帰宅してじっくり考えみて合点が行った。つまり、伊吹議員の万歳三唱が終わって、楽団の奉祝曲が流れると、プロクラムはこれですべて終了だから、参列者の一部はさっさと立ち上がってガチャガチャと帰りの支度をするはずである。でもその時両陛下はまだ橋の上におられる。両陛下が最後まで皇居の中へ完全に戻られるまで(両陛下が見えなくなるまで)、参列者を最後までお見送るさせるために、万歳三唱を繰り返したのだ。運営側による、参列者行動のコントロールが効いた万歳だった。

人生で一番多く「有難う」を言われた日~祝賀御列の儀~2019年11月11日 20:18

祝賀御列の儀 国会議事堂前
昨日の令和元年11月10日は、私の人生で一番多く人から「有難う」と言われた一日だった。
昨日は天皇陛下の祝賀御列の儀が執り行われ、皇居から赤坂御所までの4.6キロのパレートが行われた。私は縁あってパレードを見に来られた国民の皆さんに日の丸小旗を配るボランティアをした。
御列の儀は15時であるが、10時に日の丸配布場所の国会議事堂前に行くと保安検査を待つ行列が既に200m以上できていた。
ボランティア参加ということで、検査開始を待つ行列を追い越して優先的に保安検査を受けた。保安検査は空港のセキュリティより厳しく、私一人に対して、計3名の警察官が検査をした。一人目の警官は私の所持品を開被検査、カバンの中のポーチや小袋の中まで開被し中身が何かを答えさせる。ペットボトルは中身を一口飲ませる。2人目の警官は私の全身を触ってボディーチェックする。3人目の警官は金属探知機で再び全身をなめる様に検査し終了。一人当たり3分弱だろうか。これを1万人以上の見学者に対して行うわけで、最終的には陛下の御列車両が15時に通過するときにも、検査ブースの外では、間に合わなかった国民がたぶん2,000人はいたと思う。
11時過ぎに一般向け保安検査が開始されると、我々ボランティアは検査が終わって「クリーンエリア」に入ってきた人たち一人一人に日の丸小旗を配る。皆さん長い間検査を待ち、やっと「関所」を通過した喜びと安堵感が相まって、日の丸を渡すと、そのたびに「有難う」「嬉しい」と笑顔が更にほころぶ。受け取らない人はほとんどいない。今回実行委員会が御列の儀の為に用意した日の丸小旗は計15万本。うち国会議事堂前配布割り当てが2万本で、約9,000本が最後に余ったので、11,000本を我々約20名のボランティアで配布した。単純計算して一人当たり平均550本を配ったことになり、私一人で550人の人から「有難う」を言われた一日となった。
上に掲載した写真は、ちょうど天皇陛下の車列が国会議事堂前を通りかかった瞬間の参列者の様子だか、この写真に写っている人は全員(私も含め)陛下の車列は全く見えない場所である。それでも皆さん必死でスマホをかざしたり、日の丸を振ったり、歓声を上げたり、雰囲気を楽しみながら陛下へのお祝いの気持ちを表していた。この場所にさえ入れない手前の検査前でタイムアウトになった皆さんも、記念に日の丸が欲しいと警官を通して我々に要望があり、車列通過後お配りした。
朝から現場にいて陛下の車列を結局直接拝むことはできなかったが、私にとって、日の丸がこんなに人に喜ばれ、人からこんなに有難うを言われる日はこれまでの人生になかったので良しとし、幸せな気持ちで家路についた。

ベビーカー2019年11月13日 21:35

ある日駅のエレベーターに乗りドアを閉めようとしたらベビーカーを押す女性が急いで向かってきたので、慌てて【ひらく】ボタンを押して乗り込むまで待ってあげた。降りる時も【ひらく】を押して優先してあげた。その女性はエレベーターから降りると、ベビーカーに向かって、「着いたよぉ~、よかったねぇ」とか話し出すので、ふと見たら、赤ちゃんではなく、犬だった。
近所を歩いていても、犬をベビーカーに乗せて散歩させている人間をよく見かける。童謡にもあるように、犬というものは雪の中でも元気に喜んで走り回る動物だと思っているので、せっかく外へでても車に乗せられ、果たして本当に犬は幸せなのだろうか、といつも疑問に思う。老犬でも、後ろ脚を失って義足を付けた犬でも、ゆっくりだが自分の足で歩ける喜びはある。私も犬好きだが、犬を乳母車に乗せるのは止めてほしい。

御一代に一度の大嘗祭2019年11月14日 23:07

戦後GHQに「勤労感謝の日」と名前を変えされられた新嘗祭。今夜は天皇陛下御即位後初めての新嘗祭(にいなめさい)で、大嘗祭(だいじょうさい)と呼ばれる祭祀が行われている。御一代に一度の大嘗祭。天武天皇の7世紀ころから始まったそうで、天皇陛下が今年獲れた新米を神様に捧げ、五穀豊穣を祈り、神様と一緒に食事をする儀式だ。夜を徹して我々の為に祈ってくれている。静かに過ごそう。

「アベ政治を許さない」を許さない2019年11月15日 23:10

月初めに近所の稲荷神社に毎月お参りすることにしている。神社庁が月に一回無料で発行する先人の言葉や和歌を印刷した短冊「生命の言葉」をいただくのが目的でもある。その稲荷神社の参道には何軒か店舗があっていずれもお稲荷さんにお供えする油揚げやろうそく、狐の置物などを販売している。ある時いつものように参道を通りかかるとそのうちの1軒が店先のガラス戸に「アベ政治を許さない」という貼り紙を掲示しているのを目にした。店の横の郵便受けをみると、「赤旗はこちらに入れてください」と貼ってある。日本共産党を支持する人の店だった。

誰でも思想信条の自由はあるから、店主が安倍政権を嫌うのも自由だ。がしかし、それは家の中でやってくれ。いやしくも神社の参道にお店を出し、感謝と祈りの場所である神社にお参りに来る参拝者に向けて「アベ政治を許さない」という店主の信条を我々に「強要」するのはちょっと違う。議会制民主主義で合法的に選ばれた安倍政権は私自身是々非々で支持しているが、神社の一角で商売をしてる店主がこのような形で参拝者にイデオロギーを押し付けるのは非常に不愉快だ。

この稲荷神社はホームページを開設していたので、この店舗の事を伝え、どうされるかの判断は神社に委ねるとインターネットで意見した。翌週、参道を通りかかると店舗の「アベ政治は許さない」の掲示は取り外され、普通の店先に戻っていた。もともとあまり繁盛している風ではなかったが、それから1年ほど経ってある日通りかかったら「しばらく休業します」と貼り紙がしてあり商売に見切りをつけたようだった。