情熱のパン屋さん2019年11月17日 17:10

知り合いから、週末に「文博(ぶんぱく)」があって製本業者も出店販売しているから行ってみて、と勧められてっきり「文具博覧会」かとおもって行ってみると東京文京区シビックセンターで開催の「文京博覧会」だった。文具類ではなく、文京区にゆかりのある店舗・サークル・学校が出店でいろいろ販売するイベントだった。そのなかで、店頭に絵画を掲示したお菓子販売ブースがあった。それは、「昭和」の映画看板を彷彿とさせる横尾忠則風の色遣いの絵画だった。遠慮がちに陳列されている菓子、パン類の横で、その絵の自己主張は激しかった。あまりの衝撃に店主に「この絵を写真に撮ってもいいですか」と尋ねると「勿論どうぞ、嬉しいよ。それは私が書いたんだ」と教えてくれた。見ると眼鏡をかけパン職人の帽子と白衣を着た70歳過ぎの寡黙そうなご老人だった。その方のどこから絵にこれだけ激しいエネルギーが出るのか。
「うちの店はワインやチーズに合うパンを作る店なんだ」
出店の雰囲気からてっきり個人の趣味で販売していると勝手に思っていたので「あ、お店も出されているんですね」というと
「うちの店は有名だよ」と言われた。
残念ながら名物のアップルパイは完売していて結局何も買わなかったが、自宅に戻りこの店舗のホームページを見つけた。
文京区にある「マールツァイト」というパン屋さんで、店主の絵画作品を集めた画廊コーナーのページもある。
http://www.mahlzeit.jp/index.html
「文博」では完売でありつけなかった名物アップルパイを今度本店舗にいって買ってみようと思う。

マスコミの傲慢2019年11月18日 22:30

私の以前の仕事は公共施設を運営する会社の広報だった。
ある日毎日新聞の記者から電話があり、運営している公共施設の紹介記事を掲載したいので写真素材だけ貸してくれという。事実と違うこと紹介されても困るので、写真を貸すのはいいが、原稿も事前に確認させてもらうと言ったら、「通常記者が書く記事は事前に取材対象には見せない」とかもっともらしいことを言い出す。社会面のスクープ記事じゃあるまいし、公共施設の紹介なのだから事前に見せないなら、記事掲載も写真貸し出しもできない旨説明した。するとよっぽど困ったらしく「普段は見せないが・・・」とかいいながら、結局事前に記事を事前提出してきた。チェックすると案の定、事実と違う内容だったので全部修正させた。公共施設を実際に一度も見に来ることもなく、あたかも取材して足で稼いだような記事にする。こっちは無料で写真を貸し出し、一銭ももらえる訳ではなく記事をチェックしてあげる。記者は記事にして新聞収入を得る。テレビも同じで、取材される側は宣伝になるからとタダで応じ、テレビ局側はタダ乗りして莫大な収入をスポンサーから得る。こういう傲慢でいい加減な取材だから、新聞もテレビも偏向記事が多いのだと合点がいった。
因みに、その公共施設紹介記事は東京オリンピック2020を見据えたシリーズものだった。うちの施設を紹介した翌週は別の公共施設を紹介していたが、案の定その翌週にはその施設の訂正記事が出ていた。

NHKのど自慢2019年11月19日 21:15

NHKのど自慢で、合格の鐘が鳴った日本の成人男性に司会者が「おところとお名前は」と2度聞いたが、その男性はキョトンとした表情で固まっていた。司会者が「どこからきたの?」と3度目に尋ねると「~~から来ました」と答えられた。「おところ」「おすまい」という敬語がわからなくなっているのか。

中国人が恐れるもの2019年11月20日 23:11

中国人にとって日本人の一番怖いところは、「団結」と「死を恐れないこと」だと中国の友人が教えてくれた。
中国人は「団結」できない。団結できないから天安門広場にも「民族よ団結しよう!」とスローガンが書かれている。
中国の諺に「ひとりの和尚が水をくむ、2人の和尚が天秤で水を担ぐ、3人の和尚が水をこぼす」というのがある。つまり中国人は団結ができないので、人が増えれば増える程物事が台無しになるのだ。「中国人は一人だと虎だが、人数が多くなるとネズミになる」とも教えてくれた。一人だと強い実力を発揮するが、人数が多くなると団結できずネズミ一匹程度の力しか発揮できないという意味だそうだ。
日本人は違う。日本人は一人だとなかなか自己主張できないが、仲間が集まると一致団結して何倍もの力を発揮できる。中国人はこれができないから、団結する日本人が怖いと言っていた。

ふたつめは「死を恐れないこと」。大東亜戦争時、国や家族の為に特攻隊として笑顔で出撃する日本人精神のイメージがあるのだろう。それくらい「わたくし」を捨てて公の為に覚悟を持って戦える日本人のこの精神が怖いのだ。オリンピックや世界選手権で優勝した日本人選手の言葉の多くは、「支えてくれた方の為に、日の丸を背負って、コーチへの恩返し」で頑張れたとの言葉を聞くと、日本人にとって最後はやはり「精神論」が人を強くしていると感じる。戦前も戦後も、日本人と精神論はやはり切り離せない。

「団結」と「死をも恐れないくらいの精神」、このふたつが合致すると、大体スポーツでも経済界でも、日本はいい成績まで進んでいるように思う。先般のラグビーW杯の日本チームもその例だろう。
だから戦後中国はこの日本人の「団結」をバラバラにし、「日本人精神」をヘナヘナにするのに必死なのであり、日本人の精神性も弱体化しているように思う。中国の思うツボだ。

ザトウクジラを食す2019年11月23日 00:25

千葉県房総半島の和田浦漁港に行ってきた。ここは日本捕鯨基地のひとつでツチクジラを専門に操業し、捕獲すると漁港での解体予定時間をネットで事前に掲載し、解体作業を一般公開している漁港である。
残念ながら今回はあいにくの天候でツチクジラの捕獲はできず解体作業も見られなかったが、先日房総沖の定置網にひっかかったザトウクジラの刺身肉を、偶然立ち寄った和田浦のクジラ料理屋でありつけた。

「ザトウクジラ」の名前の由来は、背びれが琵琶をかついた座頭に似ているからだそうだ。昨年小笠原諸島父島に行ったとき、子育てのためにアリューシャンあたりから南下してきたザトウクジラの親子があちこちで潮を吹いていた。その刺身を食せる機会があるとは。和田浦漁港でも「ザトウ」は年に1匹か2匹しか獲れないとのことだった。
今回定置網にかかった「ザトウ」は子クジラだったそうで、肉の表面はつるつるで臭みもなくプルンと舌に馴染む感触だが、噛んでみると肉の中に細い繊維がしっかりと張っていて、何度も噛んで繊維をかみ切ってからやっと喉を通る忍耐を要する刺身であった。ミンククジラのユッケも追加で注文し、クジラ生肉づくしのランチとなった。

日本も令和元年7月にやっとIWC(国際捕鯨委員会)から脱退し、自国の領海と排他的経済水域で誰に遠慮することもなく商業捕鯨ができるようになった。当初IWCは捕鯨国が集まって捕鯨の方向性について論じる組織だったのが、その後反捕鯨国がどんどんIWCのメンバーに入ってくると捕鯨国がだんだん少数派となってきて捕鯨国=悪い国のレッテルを張られ縛りがきつくなってきていた。今や現在地球上の全クジラが1年に食べる魚の量は、全人類が食べる魚の量よりも多いそうだ。クジラを著しく保護したことにより、人間に食べられるクジラが食物連鎖の対象から外されてしまった結果であろう。

11月を以て終了した和田浦漁港の捕鯨は来年初夏からまた再開するかと思う。いつの日か解体現場をこの目で見てみたいと思っている。捕獲・解体情報はこちらのブログにて発信されている。
http://gaibouhogei.blog107.fc2.com/blog-entry-1107.html

「自由」と「平等」の矛盾2019年11月24日 00:30

『あるユダヤ人の懺悔~日本人に謝りたい』という本を読んだ。今から40年ほど前に出版されたのだが、著者、訳者は既に亡くなり、当時の出版社も倒産したため絶版になっていたのを、最近ある人が自費出版された本だった。
なぜ、著者のユダヤ人が日本人に謝りたいかというと、日本が敗戦後GHQに押し付けられた日本国憲法はユダヤ人が書いたもので、同じくユダヤ人が作ったドイツのワイマール憲法の丸写しだった。ユダヤ問題のない日本に同胞ユダヤ人が丸写し憲法を押し付けてしまって済まなかった、日本人は早くここから脱却してほしいという趣旨の本だった。
その中で著者が言ったある言葉が印象的だった。それは、日本国憲法にも美しくちりばめられ、高く掲げられている「自由」と「平等」。この2つの言葉は絶対両立しないということだ。確かにそうだ。気がつかなかった。
人は「自由」を求めれば「平等」であり得るはずがないし、
本当に「平等」でありたいなら共産主義のような社会が必要なのであって「自由」である限り「平等」は得られない。
では、なぜユダヤ人はこのような言葉をちりばめたのか。著者は言う。本当は矛盾するこれらの言葉も、ひとつひとつは耳に心地よく、ちりばめることにより憲法そのものも何となく正しいものだと思わせ、反論の余地を与えない効果を狙ったものだと。フランスの「自由」「平等」「博愛」も然り。国家を持てず、世界中で自由、平等を求めていたユダヤ人がフランス王政を倒すために仕掛けたフランス革命での叫びにも共通する。この両立しない2つの概念を、一見反論しにくい美しい言葉だからとあちらこちらにちりばめもっともらしくする、その程度のものが日本国憲法なのだ。

NHKの傲慢~NHKニュースは産経ニュースより正確だ~2019年11月26日 22:17

毎週通っている中国語のクラスメートにNHKの現役論説委員がいることが判明した。
なぜ分かったかというと、比較級を使って構文を作る際
「NHKニュースは産経ニュースより正確だ」
という中国語文章を彼が作ったからだ。
一般人が自身の感想で作った文なら聞き流すところだが、NHKの現役論説委員が自分の局のニュースが他局より正確だと言い放ったところが大いに引っかかった。

何を以てNHKのニュースが正確だと思っているのか。NHK放送のうち信用でき安心して聞けるのは天気予報と台風地震情報だけだと私は思う。本来は両論併記すべき立場の公共放送局が、真実を彼らのフィルターにかけるため、ニュースを聞いていると結論ありきで気分が悪くなることも多々ある。例えば外交問題。日中、日韓関係を報道する際も、常に報道の主語は「中国政府は」「習近平は」「韓国は」「文大統領は」でしきりに外国側の主張立場を報道し、それに対し「日本政府」はと最後に付け足す。人民日報、中国中央電視台のニュースを見ているのではないかと錯覚することがある。

先般の北海道大学教授の中国による拘束もそうだ。9月に既に北大教授は拘束されいるにも関わらず報道各社と日本政府は緘口令を敷いて一切報道、発表しない。それを10月19日、即位の礼で王岐山が来日する直前に産経新聞が第一面でスクープ報道したことで国民はやっと事実を知り、政府も10月22日に来日した王岐山に北大教授拘束の事を言及せざるを得なくなった。先般11月15日北大教授はようやく解放帰国できたが、もしスクープがなければ、おそらく習近平が国賓として来日する予定の来春まで事実は隠され、拘束されたままだったろう。見て見ぬふりをした政府とメディアと北海道大学。未だに9名の日本人が拘束されている。

NHKは普段、「表現の自由」「政府の監視役」「社会の公器」「弱者の立場に立って」「公共放送としての役割」など盛んに美辞麗句を並べているが、北大教授拘束問題ひとつとっても産経を非難する資格がNHKにあるのか、はなはだ疑問である。

NHKは社員が約1万人いて、平均年収1780万円だそうだ。うちのクラスメートは見た感じ50過ぎだから、軽く年収2000万円は超えているだろう。これらの給料は国家予算と我々の受信料で賄っている。にも関わらず、日本国民が拘束された事実すら報道せず、到底弱い立場の人の苦しさなどわかるはずもない年収で、産経を非難する。自分の局の報道が本当に正しいと信じて言い放ってしまうガラパゴス体質と世間のKY(空気読めない)感覚が怖い。
今週の「時論公論」に論説委員として出演するらしいが、私は引っ越しをきっかけにテレビを捨てたので残念ながら彼の「自論」は確認できない。
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu/committee/

都会の開業医~羊頭狗肉?~2019年11月30日 22:33

自宅近くの眼科に行った。「山田眼科」(仮称)と看板を掲げているのに、山田先生に診てもらったためしはなく、行くたびに先生が違う。今日の先生は高校生みたいな容貌でぼーっとしたしゃべり方でこれまでで一番若い男性だった。見るからに新人だ。不安がよぎった。
症状は目の中がコロコロ違和感があると相談に行ったのに、綿棒で瞼のふちを「ここは汚れやすいから」となでなでするだけで、「様子を見てまたコロコロするようだったら来てください」といって終わろうとするので、「今、目がコロコロするので今日相談に来たのです。今までの先生なら瞼の裏側をみていただき、そこを処置してもらった」と粘ると、「僕はやったことがないので自信がない」という。ある意味正直だ。
こちらも怖かったので「では結構です」と言って帰ろうとすると、自尊心を傷つけたのか、「やってみましょう。痛かったら言って下さい」といって瞼の裏を処置し始めた。これまでの先生にない痛さが走り「痛い!」といったら先生は黙って止めた。目から血が出てきた。診察室を黙って出て、看護婦に「ベテラン」の山田先生の診察日は何曜日なのか確認した。
瞼のふちをナデナデし、瞼の裏を処置する前に出血させて治療を中断し、
1150円の治療費を払った。先ほど血が出てきた瞼裏が時間の経過とともに段々ジンジンしてきたので、先生にもう一度出血部分を消毒してもらおうと看護婦に相談したら、診察室には通されず、消炎目薬の処方箋を用意され、さきほどの「治療費」に加え、更に追加料金1380円と受付で言われた。
治療も中途半端、おまけに出血させられ、治療代より高い処方箋を押し付けられるのはおかしい。「これだったら要りません」と言ってバカバカしくなって医院を出た。

都会の医院は○○医院と書いておきながら、○○先生ではなく、雇われた研修医やどこのどなたかよくわからない先生に診察されることが少なくない。医者と患者の間には相性もあるし、行くたびに先生が違うようでは、患者のほうも不安でしょうがない。宝くじのようなもので、当たりか、外れか。これって、医療の羊頭狗肉ではないか。