安倍元首相暗殺に想う2022年07月10日 18:30

安倍元首相が暗殺された。
職場の昼当番を終え遅めの昼食を摂ろうした私に同僚が駆け寄って来て、「大変なことが起きました」と教えてくれた。
想えば、第1次安倍政権を途中で「投げ出し」、悪夢の民主党政権の最中に、安倍さんがもう一度自民党総裁選に立つと聞き、憲政会館と有楽町の街宣に日の丸を持って駆け付けた。
それだけ日本を取り戻してくれると期待し全力で応援し、とうとう第2次安倍政権が憲政史上最長の8年間で実現した。
ところが、あれだけ「日本をとりもどす」と言っていた安倍さん、蓋を開けて見ると、アベノミクスは尻すぼみ、デフレ脱却どころか消費税を2度も上げ、「移民法」とインバウンドで外国人を大量に受け入れて日本を安売りし、尖閣諸島の防衛も後退した。何をやっているんだと怒りさえ覚えた。
首相を辞任した後になって、政権外から日本経済や防衛の事を彼があれこれ言っても、政治家は結果が全てであって、私には「無責任な遠吠え」にしか聞こえず、益々心は離れていった。
その矢先の暗殺である。
安倍さんのあのような死を目の当たりにして、人の人生というものは誠にあっけなく、はかないものであると改めて感じた。同時に、だからこそ、政治家のみならず、我々市井も一瞬一瞬を全力で人生に立ち向かわねばならないと痛感した。
糾弾に倒れた安倍さんの本音は
「こんな形で人生の幕を閉じるのだったら、アメリカの圧力があろうが、党内や財務省からの反対勢力がいようが、8年の首相在任中に『命懸け』で日本を取り戻す方向に舵を切っておけばよかった」だと思う。
残された政治家(のみならず我々国民も)、安倍さんの最期を見て、「安倍さんの意志を継いで今度は自分たちが命懸けで日本を取り戻そう、守ろう」と奮起することを願う。でなければ「アベを許さなかった」勢力や安倍さんが亡くなって喜ぶ国々によって、日本が瓦解していくのをこのまま黙って放置することになるだろう。

自分が試された2日間2022年07月24日 21:53

この週末の2日間、自分が試される3つの局面があった。
ひとつめ。
カフェでモーニングセットを頼み、飲み物だけ先にもらい、サンドイッチを立ったまま待っていた。数分して出来上がり店員から「お待たせしました」とカウンター越しに出され、取るのに手を伸ばしたところ、方向が悪かったようで先にもらっていた飲み物が倒れ、全部こぼれた。
お金を払った飲み物を飲む前に自分でこぼしたのは初めてだった。当然商品を消費者が受け取った後の消費者の「過失」なので、「カウンターにこぼしました、済みません」と言って、こぼれた後の空っぽのグラスを差し出した。運が悪かったと思って飲み物をもう一度買いなおすか、それも癪だな、と思っていたら、店員さんが「お召し物は汚れませんでしたか」と言って無料で新しく飲み物を作ってくれた。実は心の中で店員の反応を試してみた自分もあったが、「恐れ入ます」と言って有り難く頂いた。

ふたつめ。
外出先へ急ぐのに山手線の池袋駅に下りた途端に、ホームにPASMOが入ったパスケースが落ちているのに気づいた。先に下りた前の乗客も通り過ぎた後、私の目にそれが飛び込んできた。先を急いでいたのだが、その境遇を自分に置き換えた時の無くした人の不便さ、第三者が拾得して悪用することの可能性が頭をよぎり、人混みの中、身をかがめて拾った。駅の改札の案内所まで階段をかけ上がり、「14番線に落ちていました」と言って置いてきた。

みっつめ。
 牛丼屋で朝食を摂ろうと店先まで行ったら、脇の路地の角で変な動きをするホームレス風の男性がいた。炎天下だったし一旦店にはいり朝食を摂っていたが、その男性が店のガラス越しから嫌でも目に入ってくる。
 男性は、身体全体が麻痺しているようで身体をよじりながら、腰を曲げてゆらゆらしている。仕舞には地べたに座り込んで自動販売機の前で身もだえている様子だった。黄色いTシャツを着ているが、なぜかインドの僧侶のように灰色の布きれを肩で結んで羽織っている。布きれの下から見えるズボンの膝は擦り切れて中の脚が見える。
 その男性がいるのは商店街の脇の路地道なのだが、往来するもの老若男女誰一人その男性を気にかけたり、目を向ける者さえいない。あたかもそこには誰も、何も存在していないが如く普通に通り過ぎる。もしやあの男性が見えるのは私だけなのかと錯覚するくらい、誰もが無関心だった。炎天下のアスファルトの暑い地べたに座り込み、身もだえながら自動販売機に手を入れたり下をのぞき込んだりしているが、健康な人の動きではない。
 同じ世の中に生を受け、人の人生それぞれあるが、片や空調の効いた店内で朝食を食べる自分と、炎天下で不自由な体を揺らしながらアスファルトの地べたに座って身もだえている男性、それを考えると急に朝食が喉を通らなくなった。「このまま食べ続けるわけにいかない」と思った。
 普通のホームレスの人なら、それぞれの生き方もあるし、干渉することもないのだが、その男性をみていると、あの体でどうやってそれまで生きてきたのか、これからも大丈夫なのか、いや、これからどころか、この後、この日一日このままで生きていけるのか想像もつかなかったし、このままでは熱中症でいき倒れになるのではないかとさえ思った。
 朝食を途中でやめて、そのまま近くの交番に相談に行った。「地べたに座ったホームレス風の方がいる。身体が麻痺しているみたいであのままでは熱中症になるのではないかと心配で」と相談したら、警官から「倒れているなら交番じゃなくて、119番してもらっていいんですよ」と言われた。『慢性的な病状で、意識もある、倒れているわけではない』と思って黙っていたら、警官は「ちょっと自転車で見にいってみますよ」と、相談に応じてくれた。
 顛末が気になって、警官の自転車の後ろから、その商店街の方向についていった。商店街の入り口まできたら、警官がキョロキョロしているので、「お巡りさん、こちらです」と後ろから自転車を追い越して、先導した。
路地までくると、あれだけ10分以上身もだえいしていた男性が路地から忽然と消えていた。
 「ここにいたんですが・・・」というと、警官は路地の奥まで入っていた。その時、対面のスーパーの入り口で、路地から大通りに出て、やっぱり身もだえしている男性を見つけた。警官に「今スーパーの入り口にいるあの方です」と教えた。警官は男性に声を掛けてくれた。その間に私はスーパーに入り、冷えた水のペットボトルを一本買った。水は財布にあったバラ銭95円ぴったりだった。
 店を出るとお巡りさんはいなくなっており、男性だけがスーパーの入り口に身もだえしながら座っていたので、買った水の蓋を先に開けて、「どうぞ」と言って差し出した。男性は「ありがとう」と言って手を開いて握っていた110円の小銭を私に差出したが、そんなお金はもらえるはずもなく「いいですよ」と言って私はその場を去った。
 すると警官がどこからともなく私のほうによってきて「聞いたらこの近くに住んでいて家もあるようですから」と教えてくれた。本当に家があるのかどうかも分からない恰好だったが、とりあえず、生きるすべは持っているようだということが分かり安心した。警官に「有難うございました」と言って別れた。
 人が意識もなく倒れていれば当然119番はするが、あのホームレス風の方を目にした時に「人としてどうすべきか」という考えに直面してなにもせずにはいられなかった。かといって、私が関われること、できることも限られる。
実に天から自分が試された2日間であった。