三島由紀夫が亡くなって50年 ― 2020年11月02日 00:00
三島由紀夫が防衛庁市谷で自決して11月で50年になる。山口百恵ブームで映画『潮騒』を見て三島由紀夫の名前は知っていたが、彼が政治的に国士であったことは40歳になるまで知らなかった。しかも今住んでいるところから自転車で行ける距離に三島由紀夫の自宅が残っていることも初めて知った。ふらっと行ってみた。子孫が住んでいるとのことで、見学も訪問もできないが、玄関には「三島由紀夫」の表札がそのままで(本名は平岡公威)ロココ調の建物も当時のまま残されていた。娘婿の表札もかかっていたが、彼は外交官で、現在韓国全権大使に就いているので、家の主は今は不在の様子だった。
亡くなる2か月前産経新聞に掲載された文章
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
— 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」
三島が嘆いたように、日本が着々と溶けていくのを感じている。
亡くなる2か月前産経新聞に掲載された文章
私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
— 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」
三島が嘆いたように、日本が着々と溶けていくのを感じている。
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