地元は相当「密集」2020年05月01日 20:10

地元に滞留する人々
近所界隈がいつもの平日休日より人通りが多い。本来なら大型連休で皆東京を離れるか、さもなくば働いているので、もっと静かなはずである。非常事態宣言下で、政府は都道府県をまたぐな、東京都は外出するな、という反動だろう。出ていくなと言われれば、地元に残るしかないから、行くところがない人で地元界隈は相当密集して賑やかだ。

正しく恐れよ~武漢肺炎~2020年05月02日 20:42

武漢肺炎 正しく恐れよ
先日病院の売店でうっかりMADE IN CHINAの除菌ウエットティッシュを買ってしまったところだったが、製本教室の帰り道に通りかかった薬局の店先でMADE IN JAPANのウエットティッシュを見つけ、リベンジで購入した。大王製紙株式会社様有難うございます。
帰宅したら、郵便受けに厚生労働省からのマスクが届いていた。巷では、髪の毛、虫、カビ、果ては糸くずが入っていると返品要望が入っているようだが、今日届いたマスクは衛生面で特に異常はなかった。2枚のマスクを見比べてみるとガーゼの目の粗さが微妙に違うので、それぞれ製造場所が違うのだろう。あちこちからかき集めてきたのがうかがわれる。安倍さん、有り難く頂戴いたします。

ところで
政府が緊急事態宣言を延長・・・などニュースが行き交っているが、武漢肺炎対応が、段々東日本大震災の福島原発事故対応の様相を呈してきている。過度に恐れるあまりもっと大切なものを否定し始めている。

京都大学公衆衛生専門家の宮沢獣医師が、世の中の過敏さを見ていられなくなり、露出し始めている。正しく恐れよ、だ。
https://www.youtube.com/watch?v=xe3qSPpcFCc
https://www.youtube.com/watch?v=oQf9KQL4sVg
https://www.youtube.com/watch?v=7GCRkndZgDI

https://twitter.com/takavet1

33年目の相棒2020年05月04日 10:42

33年目のシステム手帳
「チャップリン」に修理に出していた本革のシステム手帳が今日仕上がった。この手帳は使い始めて今年で33年になり、私の所持品の中で一番長く愛用している。
カバンで有名なSAZABYの焼き印が入ったシステム手帳で、買えば当時学生の私には高価なものである。実は私が家庭教師をしていたおうちがSAZABYから委託されて革製品を製造しており、手帳で訳あり品が出てSAZABYに卸せないからと頂いた手帳であった。
大学3年生から使い始め、通学、クラブ活動、アルバイト、就職活動、新社会人、語学留学、海外出張、国内外の旅先、海外赴任を経て現在に至るまで、毎日これを手にして一緒に33年間歩んできた。その間、定期的に脂を塗って手入れし20年程は問題なく使っていたが、うっかり水濡れしたり、経年と共にペン挿し部分が裂け、天地部分やベルトが摩耗し、プラスティックケース部分が割れたりした。他店でできない修理を請け負ってくれる「チャップリン」を10年前に見つけてからは、安心して補修してもらうようになり、今回は2度目の「外科手術」であった。
この手帳の色つやの変化や熟成具合が気に入って以来、革製品を好んで購入するようになった。今回同時に修理に出した総革リュックサックは東日本大震災をきっかけに両手が自由に利くカバンと思い買ったもので9年目になる。このまま私の折り返しの人生と共に大切に使い続けられればと思う。
実はこのシステム手帳、当時2冊いただいており、もう一冊は劣化しないように手入れしながらも新品のまま33年間スタンバイ状態である。こちらの行く末も考えてあげなければいけない。

与那国は首里とは違う~與那国民俗資料館~2020年05月05日 23:59

与那国民俗資料館の池間さん
2011年、少しでも尖閣諸島に近い島に行きたいと思い与那国島に旅行した。今は自衛隊が駐屯しているが、当時島には交番がひとつ、警官が二人しかいない時代で、もし大陸から侵略者が上陸してきても拳銃2丁でどうして島を守れるかと言われていた頃だった。自衛隊誘致の反対派と賛成派の横断幕が島のあちこちに貼られて島を二分していた。
数日のんびりして、いよいよ帰る日の午前中、浜辺を歩いていたら、ある民家の入り口に「與那国民俗資料館」という看板を見つけ、せっかくの機会だからと恐る恐る入ってみた。
「ごめんください」と言ってガラス扉を開けると、奥からおばあさんが出てこられた。見学したいむね申し出て入館料100円ほどだったか払って見学した。少し広めの自宅ガレージ程度のスペースに所狭しと、与那国独特の民芸品や道具類が展示されていた。展示品は15分程度で見終わったが、そのおばあさんは私に「時間がありますか。前回来た人は時間がなくて30分ほどで帰ったけど」という。「はい、飛行機は夕方なので時間はあります」というと、戦前の与那国のことをお話ししてくれた。
そのおばあさんは池間さんとおっしゃって写真当時で既に90歳を超えておられたと思う。戦前は台湾も日本だったので、多くの出稼ぎ台湾人が船で与那国島へやって来て賑やかだった。貧しい労働者らが多く島にやってきて季節が終わると台湾に戻っていったが特に差別もなく普通に交流していた。若かった池間さんも台湾に行く機会があり、台湾の街並みが日本内地とそっくりだったことに驚いた。与那国は八重山諸島の中でも一番日本本土らしい生活習慣だそうだ。それは台湾を通じて与那国が日本本土の文化を取り入れたからだ。その後池間さんは首里(沖縄本島のこと)に行く機会があったが、同じ沖縄県でありながら首里は日本本土の生活様式を取り入れた与那国とは全く違う文化であることに驚いた。「首里は違う」としきりにおっしゃっていた。
兄弟がご健在で年に1回大阪や福岡で集まるのが楽しみだ、今でも飛行機に乗るよ、などと2時間ほどお話を伺った。お話が非常に興味深かったので、資料館入口にあったご主人が出版されたという与那国に関する書物を購入し、記念に池間さんのサインをいただいた。

あれからもう10年経ち、与那国観光サイトにもこの資料館は掲載されていない。トリップアドバイザーで検索すると池間さんは数年前体調を壊され、2019年の書き込みには閉館して廃墟になっているとの記載があった。あの時買った本を今一度読み返し、池間さんのお話を思い出したいと思う。

金正恩 比較考2020年05月06日 14:22

金正恩 比較
ネット界では、北朝鮮の金正恩の死亡説、重体説が流れ、それを受けて5月1日北側メディアが金正恩の肥料工場式典参加の写真と動画を公開し健在ぶりをアピールした。
ただ歴代の北朝鮮最高指導者同様、金正恩にもそっくりさんの影武者がいるらしい。連休の自宅待機であまりに時間があるので、ネットから写真を探し切り取って、顔が夢に出てくるくらいじっくりと比較してみた。

【左写真】
この写真は金が2019年4月露朝首脳会談でウラジオストクに行ったときの写真。隣にプーチンがいるので、この写真は本物の金正恩であるとしよう。この写真を本人と仮定し、基準にする。
金の顔にはほくろがいくつかあり、目立つのは
右目の涙袋の下にふたつ、
小鼻の左上にひとつ
右のほうれい線のすぐ上にひとつ
左寄り鼻と唇の間にひとつ
顎の右寄りの部分にふたつある。
それ以外に外国首脳と一緒に移る他の写真には、右まゆの上のおでこに薄く太ったための皺か傷跡がある。
耳たぶの下の線を結ぶと、ちょうど小鼻の上に延長線が通る。
額の生え際は緩いカーブを描いている。
外国首脳会談での他の本人写真でも生え際と耳たぶ線はこの写真と同じであった。

【中央写真】
このたび5月1日肥料工場での写真とされるもの。
まず、右まゆ上の額に傷跡のようなものがあるが左写真と違っていかにもはっきりとした人工的な様相の傷跡である。
ほくろについては画像が荒く、左写真で指摘した場所のほくろは確認できないが、左写真にはなかった右ほほ中央に大きなほくろがある。
耳たぶ下を線で結ぶと線の延長線が上唇の端か、口を閉じたとしても鼻の下に線がくるので、線が小鼻上にかかる本人とは位置が違う。
また、額の生え際は本人のカーブではなくまっすぐ、別の写真で肥料工場テープカットでの壇上の金の額も真っすぐなので左写真とは違う。

【右写真】
中央写真と同じく5月1日に公開された肥料工場での写真だが、額の生え際がカーブで、中央写真の生え際と違う。
写真画像が荒く左写真のようにほくろの位置は確認できないが、
耳たぶの線は、笑っているので唇が上がっているが、この写真が笑っていないとしたら左写真の「本物」と同じ小鼻上に耳たぶ線がくる。

【私の結論】
5月1日公開の車から降りてきた中央写真の金と壇上でテープカットの金は本物の金ではない。
本人≠5月1日肥料工場入り口、式典の金

同じ5月1日公開の右写真は、本物の金に近い。
本人=5月1日肥料工場内での金

因みに同じ式典で控える妹と思われる写真も、
本人≠壇上で金の隣の妹≠テープカットで後ろに控える妹
は、髪の長さ、横顔からみる若さが合致しない。

従って北朝鮮が5月1日に発表した金の写真は、本物らしき(過去の視察写真?)の金と影武者の金が混在してる、と思われる。これを以って金が5月1日現在元気だということは断言できない。

追記 2020.6.06
https://www.youtube.com/watch?v=LoWXnWaTRg4

ダライラマ法王への毛沢東からの手紙~侵略の伏線~2020年05月07日 00:30

ダライラマ法王に毛沢東が送ったとされる手紙
上海駐在中の2007年に念願だったチベットを訪れた。想像以上に漢民族が侵攻しており都であるラサの街並みは中国沿海地域のそれと変わりないほどチベット色はかき消されていた。チベットの象徴でもあるポタラ宮も、漢民族が完全に支配し大きな観光収入源のツールにしていた。宮殿内部も既にそこには僧侶の魂もチベット人の祈りもなく、主(あるじ)が居なくなった単なるもぬけの殻の建物と化していた。
市内中心部の西蔵省博物館に入った。あちこちの寺から剥奪されたと思われる仏像や仏画が展示されていた。展示物の中で、1954年に毛沢東がダライラマ法王に送ったとされる手紙が目に留まった。

~~~中國共産黨中央委員會~~~~~
ダライラマ先生
昨年8月1日にいただいた手紙と贈り物に感謝します。解放以降(1949年の中国共産党の新中国成立のこと)、国家とチベット民族にとって多くの有益なことをあなた方がチベットで行ってきたのは大変良いことです。あなたが手紙でまさしく言及しているように、チベットの僧侶や人民に新しい祖国をより深く理解させるために、また漢民族とチベット民族の団結を益々堅固なものにするために、チベットが毎年内地に人を派遣し視察させていることは、確かに良いことです。これ以外に、チベット建設の民族幹部を更に養成するために、チベットは青年らを人選し短期もしくは長期で内地へ派遣しても構いませんよ。
牛乳分離機2台と、スピーカー1台、(交直流)両用ラジオ1台を手紙に付して贈ります。
お身体ご自愛ください。
毛沢東
1954年4月10日
~~~~~~~~~~
この手紙が書かれた5年後の1959年に、人民解放軍チベット侵攻による命の危険を感じたダライラマ法王がヒマラヤを越えてラサからインドのダラムサラへ亡命した。ダライラマ法王が亡命して今年で60年になる。
この手紙について疑問が湧いた。元々ダライラマ法王宛ての手紙がどうして再び中国共産党の手に戻り博物館に展示されるのか?
手紙が本物であるとすれば、亡命するために法王が急いで去ったポタラ宮を家探しして見つけたものか。
手紙が偽物だとすれば、両者の友好ムードをアピールしながら「新しい祖国」という言葉を敢えて手紙に入れ、当時の中国共産党のチベット侵攻と現在のチベット乗っ取りの正当性を主張するため、のちに偽造したアリバイの手紙なのか。
私がチベットを訪れた半年後にいわゆる「チベット動乱」が発生し、外国人の立ち入りが禁止され、チベット人への弾圧がますます激しくなった。漢民族の侵略、民族浄化が更にひどくなっていることだろう。

チベット・ダラムサラ・ブータン~3か国を比較して~2020年05月08日 00:00

ラサのお寺の入口にて
チベット・ダラムサラ(インド)・ブータン、いずれもチベット人にゆかりのある地である。チベットへ行ったことをきっかけに、数珠つなぎ的に他の2か国も訪れた。3か所を比較して分かったのは、それぞれが歴史の運命により違った道を歩んでいるということだ。

チベット:チベット人にとっては祖国の地でありながら、中国共産党に侵略されてしまい、由緒ある宮殿、お寺、仏像は数々あるが、そこにはチベット人の自由な祈りや解放された魂はない。主(あるじ)不在の、建築物と圧政とチベット人の悲しみが残る街だ。

ダラムサラ(インド):ダライラマ法王の亡命先で、チベット亡命政府もある。ヒマラヤを越えて逃げてきたので、チベットから持ち出せた歴史的経典、仏像、仏画なども極めて限定的であるが、皮肉にもここには今のチベットでは得難いチベット人の自由な祈り・魂・笑顔があった。(笑顔の裏側に実は祖国を失った悲しみがある)

ブータン:16世紀にチベット仏教の主流から分派した宗派が作った国。いわゆるチベットの弟分のような国。ラサから分派したのが幸いし、今に至るまで自分たちの国で自由な信仰と自治独立を維持している。チベットにはない魂、ダラムサラにはない由緒あるお寺、仏像、経典の両方を持ち合わせ、伝統を重んじ自国に誇りを持っている。

チベット人に想う~漢族との比較~2020年05月08日 18:52

ラサのトゥルナン寺で祈るチベット人
チベットに行って感じたのは、チベット人の皆さんというのは、漢民族とは一番対極的な人々だということだった。
私がここ10年接してきた大陸の一般チャイニーズは、中国共産党や一人っ子政策の影響もあってか、信仰心を持たない。何を信じるかというとお金で、最終的には自分しか信じない。自分しか信じないから、謙虚さもないし、殺伐として余裕がない。
一方私がラサで見たチベットの人々は、(中には悪い人もいるとは思うが)一番お金に遠く、とにかく信仰心が自らをも超越する。お寺の前では一日中ひれ伏し祈っている。何百キロも離れたチベットの田舎から五体投地(祈りながらひれ伏し腕を使って全身を前へ進める)で一日かけて数百メートル進みながら、数百日かけて首都ラサを目指している青年を目にした。。(東京から這いつくばってお伊勢参りするようなもの。)擦切れてボロボロになった衣服を身にまとい、施しを受けながら身ひとつでラサにたどり着く。日焼けとホコリで真っ黒になった顔に前だけを見つめる純粋な目が光り、貧しくてもその表情は信念と誇りに満ちている。周りにいるチベット人も彼をねぎらい、敬意を表している。
五体投地などという行為も我々が普段の行動指針の基準としている効率とか合理性というものはない。ラサにたどり着いたからと言って金銭的損得など全くなく、ひたすら彼らの信仰心だけが成せる業である。
従ってどこか表情に余裕があり信仰を第一とする徳の上でも崇高なチベット人の皆さんを前にすると、自分が如何にちっぽけで貪欲かを知る。更に輪をかけたのが自分しか信じないチャイニーズであるから、彼らにとってチベット人は全くの対極にあり、理解しがたい存在であろう。

以前中国に留学していた時に、学内にはウイグル人やチベット人の学生もいた。ある日学内で暴力事件が起こったそうで、その時に私の漢族の先生は「たぶんウイグル族かチベット族の学生がやったに違いない、彼らは風紀が乱れているから」とよく言っていた。事の真相は分からないが、漢族のチベット人に対する潜在的な先入観が伺われる。

与那国島の泡盛【どなん】60度とアルコール772020年05月09日 19:32

危険物第4類 アルコール77
与那国島に行ったとき、地元酒造会社が醸造した泡盛【どなん】60度を記念に買った。私は全くの下戸なのだが、この【どなん】60度は国税庁からも与那国島だけに製造を許されている日本最高のアルコール度数だとのことだった。飛行機に乗るときに引火性のある危険品に当たらないかJALに聞いてみたが、慣れた反応で「大丈夫です」ということだった。持ち帰り10年経つが一滴も飲んでおらず今も自宅で「熟成」させている。
http://yona-shoko.com/tour/479/

この度の武漢肺炎での消毒用アルコール不足を少しでも解消するためにと、厚生労働省がアルコール度数の高い酒などを消毒液の代替品として使用することを特例として認める通知を出し酒造会社が高濃度アルコール製品を作る動きが全国的に広がっている。

今日、たまたま通りかかった地元の酒屋さんで【アルコール77】を見つけた。医療機関や介護施設優先に卸すと聞いていたので、まさか手に入るとは思わなかった。
高知県の酒造会社【菊水】が製造したアルコール77度で、これまで日本最高だった与那国【どなん】の60度を超えた。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202004080000640.html

【アルコール77】の瓶ラベルに書いてある英語が洒落ている。
「There is a joy you have never known」
(筆者訳:あなたがこれまで知らなかった楽しみがある。)
「お酒はおいしく適量を。」とも書いてあるので、一応は飲むことも可としているようが、同時に「危険物第4類、アルコール類水溶性危険等級Ⅱ」とおどろおどろしいことも書いてあり、下戸は飲むのをちょっと躊躇してしまう。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202004080000640.html

武漢肺炎という地球規模の有事の為に、アルコール度数然り、日本国内もあらゆる方面・分野で良くも悪くもこれまでの決まりや常識が次々と簡単に吹っ飛んでいる。武漢肺炎前に既に日本に蔓延っていた負の面も吹き飛ばし本当の意味での日本再生をする最大のチャンスでもある。それには我々国民も日本政府もしっかり意志を以って国造りしないといけない。

手に職をもつということ2020年05月13日 19:50

レジのビニールシート
自分用の製本道具を作ってもらうのに、インターネットで木工職人を検索し、先方と色々相談のやり取りをしていたのだが、そのうち武漢肺炎が流行り始めた。先方は昼間工房にいるため返信も遅れがちだった。ところが、この度は1か月たっても返信が来なかった。もしや武漢肺炎にでも罹患して入院しているのか?と心配し始めた矢先、返信が来た。
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現在のコロナの影響で、会社、店舗様などより、飛沫防止のアクリル板や透明カーテンの設置を依頼が殺到しております。どちらかといえば畑違いの仕事なので、通常であれば断る仕事ですが、設置してくれる業者がなかなか見つからず、同業者に助けて欲しいと頼まれましたので、何より命に係わる事ですし、感染者が一人でも減らすことが出来れば社会のお役になれる、との思いで朝から夜まで、出張取り付けをしております。
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我々お店に行くと当たり前のように思っていたあのビニールシートも、こうやって思わぬところで手に職のある方々が関わって工夫しながら設置しているんだと改めて知った。こういう方々にも感謝である。
製本道具は緊急ではないので、先方が落ち着くまで再度返事を待つこととした。