与那国は首里とは違う~與那国民俗資料館~2020年05月05日 23:59

与那国民俗資料館の池間さん
2011年、少しでも尖閣諸島に近い島に行きたいと思い与那国島に旅行した。今は自衛隊が駐屯しているが、当時島には交番がひとつ、警官が二人しかいない時代で、もし大陸から侵略者が上陸してきても拳銃2丁でどうして島を守れるかと言われていた頃だった。自衛隊誘致の反対派と賛成派の横断幕が島のあちこちに貼られて島を二分していた。
数日のんびりして、いよいよ帰る日の午前中、浜辺を歩いていたら、ある民家の入り口に「與那国民俗資料館」という看板を見つけ、せっかくの機会だからと恐る恐る入ってみた。
「ごめんください」と言ってガラス扉を開けると、奥からおばあさんが出てこられた。見学したいむね申し出て入館料100円ほどだったか払って見学した。少し広めの自宅ガレージ程度のスペースに所狭しと、与那国独特の民芸品や道具類が展示されていた。展示品は15分程度で見終わったが、そのおばあさんは私に「時間がありますか。前回来た人は時間がなくて30分ほどで帰ったけど」という。「はい、飛行機は夕方なので時間はあります」というと、戦前の与那国のことをお話ししてくれた。
そのおばあさんは池間さんとおっしゃって写真当時で既に90歳を超えておられたと思う。戦前は台湾も日本だったので、多くの出稼ぎ台湾人が船で与那国島へやって来て賑やかだった。貧しい労働者らが多く島にやってきて季節が終わると台湾に戻っていったが特に差別もなく普通に交流していた。若かった池間さんも台湾に行く機会があり、台湾の街並みが日本内地とそっくりだったことに驚いた。与那国は八重山諸島の中でも一番日本本土らしい生活習慣だそうだ。それは台湾を通じて与那国が日本本土の文化を取り入れたからだ。その後池間さんは首里(沖縄本島のこと)に行く機会があったが、同じ沖縄県でありながら首里は日本本土の生活様式を取り入れた与那国とは全く違う文化であることに驚いた。「首里は違う」としきりにおっしゃっていた。
兄弟がご健在で年に1回大阪や福岡で集まるのが楽しみだ、今でも飛行機に乗るよ、などと2時間ほどお話を伺った。お話が非常に興味深かったので、資料館入口にあったご主人が出版されたという与那国に関する書物を購入し、記念に池間さんのサインをいただいた。

あれからもう10年経ち、与那国観光サイトにもこの資料館は掲載されていない。トリップアドバイザーで検索すると池間さんは数年前体調を壊され、2019年の書き込みには閉館して廃墟になっているとの記載があった。あの時買った本を今一度読み返し、池間さんのお話を思い出したいと思う。

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