ダライラマ法王への毛沢東からの手紙~侵略の伏線~2020年05月07日 00:30

ダライラマ法王に毛沢東が送ったとされる手紙
上海駐在中の2007年に念願だったチベットを訪れた。想像以上に漢民族が侵攻しており都であるラサの街並みは中国沿海地域のそれと変わりないほどチベット色はかき消されていた。チベットの象徴でもあるポタラ宮も、漢民族が完全に支配し大きな観光収入源のツールにしていた。宮殿内部も既にそこには僧侶の魂もチベット人の祈りもなく、主(あるじ)が居なくなった単なるもぬけの殻の建物と化していた。
市内中心部の西蔵省博物館に入った。あちこちの寺から剥奪されたと思われる仏像や仏画が展示されていた。展示物の中で、1954年に毛沢東がダライラマ法王に送ったとされる手紙が目に留まった。

~~~中國共産黨中央委員會~~~~~
ダライラマ先生
昨年8月1日にいただいた手紙と贈り物に感謝します。解放以降(1949年の中国共産党の新中国成立のこと)、国家とチベット民族にとって多くの有益なことをあなた方がチベットで行ってきたのは大変良いことです。あなたが手紙でまさしく言及しているように、チベットの僧侶や人民に新しい祖国をより深く理解させるために、また漢民族とチベット民族の団結を益々堅固なものにするために、チベットが毎年内地に人を派遣し視察させていることは、確かに良いことです。これ以外に、チベット建設の民族幹部を更に養成するために、チベットは青年らを人選し短期もしくは長期で内地へ派遣しても構いませんよ。
牛乳分離機2台と、スピーカー1台、(交直流)両用ラジオ1台を手紙に付して贈ります。
お身体ご自愛ください。
毛沢東
1954年4月10日
~~~~~~~~~~
この手紙が書かれた5年後の1959年に、人民解放軍チベット侵攻による命の危険を感じたダライラマ法王がヒマラヤを越えてラサからインドのダラムサラへ亡命した。ダライラマ法王が亡命して今年で60年になる。
この手紙について疑問が湧いた。元々ダライラマ法王宛ての手紙がどうして再び中国共産党の手に戻り博物館に展示されるのか?
手紙が本物であるとすれば、亡命するために法王が急いで去ったポタラ宮を家探しして見つけたものか。
手紙が偽物だとすれば、両者の友好ムードをアピールしながら「新しい祖国」という言葉を敢えて手紙に入れ、当時の中国共産党のチベット侵攻と現在のチベット乗っ取りの正当性を主張するため、のちに偽造したアリバイの手紙なのか。
私がチベットを訪れた半年後にいわゆる「チベット動乱」が発生し、外国人の立ち入りが禁止され、チベット人への弾圧がますます激しくなった。漢民族の侵略、民族浄化が更にひどくなっていることだろう。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://onokorojima.asablo.jp/blog/2020/05/06/9243421/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。