終戦の御詔勅(現代語訳)2020年08月15日 08:27

今日は終戦の日。昭和天皇の終戦の御詔勅を丁寧に読み解いていくと、昭和天皇が戦に敗れ残された国民に寄り添い国民への励ましたかその思いがひしひしと伝わってくる。戦い散っていった英霊や先人がなぜ国家の為に戦ってくれたのか。次の世代の我々もその意志を継いで何としても成し遂げなければと改めて思う。我が国日本は精神的にも敗戦国から未だに脱していない。

【御詔勅原本】
https://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000002/00

【終戦の玉音放送】
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/koho/taisenkankei/syusen/syusen.html

【現代語訳】
朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾しようと思い、ここに忠良なる汝(なんじ)ら帝国国民に告ぐ。

 朕は帝国政府をして米英支ソ四国に対し、その共同宣言(ポツダム宣言)を受諾することを通告させたのである。

 そもそも帝国国民の健全を図り、万邦共栄の楽しみを共にするは、天照大神、神武天皇はじめ歴代天皇が遺された範であり、朕は常々心掛けている。先に米英二国に宣戦した理由もまた、実に帝国の自存と東亜の安定とを切に願うことから出たもので、他国の主権を否定して領土を侵すようなことはもとより朕の志にあらず。しかるに交戦すでに四年を経ており、朕が陸海将兵の勇戦、朕が官僚官吏の精勤、朕が一億国民の奉公、それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局は必ずしも好転せず世界の大勢もまた我に有利ではない。こればかりか、敵は新たに残虐な爆弾を使用して、多くの罪なき民を殺傷しており、惨害どこまで及ぶかは実に測り知れない事態となった。しかもなお交戦を続けるというのか。それは我が民族の滅亡をきたすのみならず、ひいては人類の文明をも破滅させるはずである。そうなってしまえば朕はどのようにして一億国民の子孫を保ち、皇祖・皇宗の神霊に詫びるのか。これが帝国政府をして共同宣言に応じさせるに至ったゆえんである。
玉音放送を聞いて炎天下にもかかわらず、皇居前で天皇陛下に向かって泣きながら額づく人々
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力した同盟諸国に対し、遺憾の意を表せざるを得ない。帝国国民には戦陣に散り、職場に殉じ、戦災に斃れた者及びその遺族に想いを致せば、それだけで五内(ごだい)(玉音は「ごない」。五臓)引き裂かれる。且つまた戦傷を負い、戦災を被り、家も仕事も失ってしまった者へどう手を差し伸べるかに至っては、朕が深く心痛むところである。思慮するに、帝国が今後受けなくてなたない苦難は当然のこと尋常ではない。汝ら国民の衷心も朕はよく理解している。しかしながら朕は時運がこうなったからには堪えがたきを堪え忍びがたきを忍び、子々孫々のために太平を拓くことを願う。

 朕は今、国としての日本を護持することができ、忠良な汝ら国民のひたすらなる誠意に信拠し、常に汝ら国民と共にいる。もし感情の激するままみだりに事を起こし、あるいは同胞を陥れて互いに時局を乱し、ために大道を踏み誤り、世界に対し信義を失うことは、朕が最も戒めるところである。よろしく国を挙げて一家となり皆で子孫をつなぎ、固く神州日本の不滅を信じ、担う使命は重く進む道程の遠いことを覚悟し、総力を将来の建設に傾け、道義を大切に志操堅固にして、日本の光栄なる真髄を発揚し、世界の進歩発展に後れぬよう心に期すべし。汝ら国民よ、朕が真意をよく汲み全身全霊で受け止めよ。

御署名(裕仁) 御印(天皇御璽)

令和2年終戦の日の靖國神社2020年08月15日 21:15

令和2年終戦の日 靖國神社
今年も巡ってきた8月15日終戦の日。普段は季節に関係なく思い立ったら靖國神社に立ち寄ることにしているが、8月15日の靖國神社は1年で一番注目され、1年で一番蝉が盛んに鳴く日である。
ひと昔前までは、マスコミの洗脳もあって、靖國神社=軍国主義の神社というイメージで、訪れる人は英霊に所縁のあった方や遺族らが主であったと思うが、ここ10年はインターネットで真実を知ったせいか、普通の若者や中年が自由な気持ちで訪れている。
今日はお参りできればいいなと思って13時ごろ訪れると、下乗のところまで参拝希望の人の列が伸びていて、警備員がその最後尾から社まで2時間待ちだと案内していた。
気温は35℃を越え、体感温度は40℃以上か。炎天下で2時間待ちと聞いても列の人たちは皆黙ってその場を動かないし、それを聞いても更にその後ろに付く人たちもいる。この人々の中で一人として利己的に並んでいる人はいないと思うと、日本人は凄いなと思った。