[●] 祝 天皇誕生日(天長節)2020年02月22日 17:00

祝 天長節
明日令和2年2月23日は
令和の御代になって初めての今上天皇の誕生日、
すなわち天長節である。

「天長」とは
老子の「天は長く地は久し(天長地久)」より引用され、
天皇陛下の誕生日を「天長節」、
皇后陛下の誕生日を「地久節」と呼んでいた。
天皇の徳を天に例え天が永遠であるように
天皇の治世が末永く続くようにという趣旨で、
明治以降は1世1元のため、
天皇の治世が末永く続くということは、
同時に天皇陛下の長寿を祝うことになる。」
~神社庁生命の言葉より抜粋~

令和最初の天長節であったが
武漢肺炎のせいで、
天皇陛下の最初の天長節一般参賀は中止となり、
お祝いムードに水を差された。

街中は、行き交う人のマスク率が80%程度。
マスクをしていない人は在庫切れで買い損ねた人たちだろう。
街中も、車内も、駅も、空港も、
人はいるが不思議と静かで落ち着いた雰囲気だ。
皆がマスクをしているので口数が少ないこともあるが
がやがや煩い中国人団体客や
インバウンド外国客が激減したことにより
本来の日本の静けさを取り戻したような気がする。

静けさを取り戻し、天長節を迎えた日本。
邪魔者がいなくなったこの大切な時だからこそ、
ちょっと出かけてみることにする。

1300年前にタイムスリップ~大嘗宮~2019年12月08日 21:08

大嘗祭が執り行われた大嘗宮
先般天皇陛下が大嘗祭を執り行われた社である大嘗宮の一般公開に行ってきた。神道に則った木造建築群だ。大嘗祭が7世紀から始まったとされるということは、皇居内のこの大嘗宮も1300年前の様式を今に伝えるものであろう。

上智大学名誉教授の渡部昇一先生がかつて、20年に一回の式年遷宮がある伊勢神宮とギリシャのパルテノン神殿について比較し言及されたことを思い出した。
ギリシャのパルテノン神殿は今から約2500年前に建てられたとされ世界遺産にもなり、我々も見学することは可能だ。しかし、それは今は崩れた廃墟であり、建築当時の様子とは違うし、今後も年月とともにどんどん朽ち果てていく。
一方伊勢神宮の式年遷宮で建てられる社殿は紀元690年より遷宮が始まって以来20年に1回同じ様式で社殿が毎回建て替えられ、1300年前と同じ真新しい姿で民が目にすることができる。このように古いものが廃墟ではなく、1300年間建て替え続けられ、いにしえが今に生きつづけているのは日本しかない、とおっしゃった。

大嘗宮の建物についても実に素朴で
東京駅の周辺高層ビル群の風景から
一気に1300年前にタイムスリップした気持だった。
凄い人混みではあったが、皆善良な日本国民という感じで、
押しあいも争いもなく、黙って列に並んで警官の指示に従って
参観していた。

追記:この度の18日間の一般公開で78万人が参観に訪れた。私が行ったときの肌感覚だが、周りの参観者の99.9%は日本人。スマホで写真を撮る今の趨勢の中、30年前くらいの型式の小さな画面のデジカメやハンディカムで写真や動画を撮っている方が多かった。普段からあまり写真を撮らないような方々が出かけてきたとお見受けする。

追記2:宮大工から見た大嘗宮
という興味深い動画あり。47分当たりから始まる。
https://www.youtube.com/watch?v=hHT0s7FmljU

御一代に一度の大嘗祭2019年11月14日 23:07

戦後GHQに「勤労感謝の日」と名前を変えされられた新嘗祭。今夜は天皇陛下御即位後初めての新嘗祭(にいなめさい)で、大嘗祭(だいじょうさい)と呼ばれる祭祀が行われている。御一代に一度の大嘗祭。天武天皇の7世紀ころから始まったそうで、天皇陛下が今年獲れた新米を神様に捧げ、五穀豊穣を祈り、神様と一緒に食事をする儀式だ。夜を徹して我々の為に祈ってくれている。静かに過ごそう。

人生で一番多く「有難う」を言われた日~祝賀御列の儀~2019年11月11日 20:18

祝賀御列の儀 国会議事堂前
昨日の令和元年11月10日は、私の人生で一番多く人から「有難う」と言われた一日だった。
昨日は天皇陛下の祝賀御列の儀が執り行われ、皇居から赤坂御所までの4.6キロのパレートが行われた。私は縁あってパレードを見に来られた国民の皆さんに日の丸小旗を配るボランティアをした。
御列の儀は15時であるが、10時に日の丸配布場所の国会議事堂前に行くと保安検査を待つ行列が既に200m以上できていた。
ボランティア参加ということで、検査開始を待つ行列を追い越して優先的に保安検査を受けた。保安検査は空港のセキュリティより厳しく、私一人に対して、計3名の警察官が検査をした。一人目の警官は私の所持品を開被検査、カバンの中のポーチや小袋の中まで開被し中身が何かを答えさせる。ペットボトルは中身を一口飲ませる。2人目の警官は私の全身を触ってボディーチェックする。3人目の警官は金属探知機で再び全身をなめる様に検査し終了。一人当たり3分弱だろうか。これを1万人以上の見学者に対して行うわけで、最終的には陛下の御列車両が15時に通過するときにも、検査ブースの外では、間に合わなかった国民がたぶん2,000人はいたと思う。
11時過ぎに一般向け保安検査が開始されると、我々ボランティアは検査が終わって「クリーンエリア」に入ってきた人たち一人一人に日の丸小旗を配る。皆さん長い間検査を待ち、やっと「関所」を通過した喜びと安堵感が相まって、日の丸を渡すと、そのたびに「有難う」「嬉しい」と笑顔が更にほころぶ。受け取らない人はほとんどいない。今回実行委員会が御列の儀の為に用意した日の丸小旗は計15万本。うち国会議事堂前配布割り当てが2万本で、約9,000本が最後に余ったので、11,000本を我々約20名のボランティアで配布した。単純計算して一人当たり平均550本を配ったことになり、私一人で550人の人から「有難う」を言われた一日となった。
上に掲載した写真は、ちょうど天皇陛下の車列が国会議事堂前を通りかかった瞬間の参列者の様子だか、この写真に写っている人は全員(私も含め)陛下の車列は全く見えない場所である。それでも皆さん必死でスマホをかざしたり、日の丸を振ったり、歓声を上げたり、雰囲気を楽しみながら陛下へのお祝いの気持ちを表していた。この場所にさえ入れない手前の検査前でタイムアウトになった皆さんも、記念に日の丸が欲しいと警官を通して我々に要望があり、車列通過後お配りした。
朝から現場にいて陛下の車列を結局直接拝むことはできなかったが、私にとって、日の丸がこんなに人に喜ばれ、人からこんなに有難うを言われる日はこれまでの人生になかったので良しとし、幸せな気持ちで家路についた。

天皇陛下即位 国民祭典~万歳三唱~2019年11月10日 18:33

天皇陛下即位 国民祭典万歳三唱
奉祝まつりの後は政府主催の国民祭典が二重橋前の皇居広場で始まった。来賓と事前に申し込んだ国民3万人以上が集まった。私は前段の奉祝まつりを最後まで沿道で看ていたため、祭典会場への入場が遅くなり、端の末席で大スクリーンを通してメインステージの様子や橋に立つ天皇皇后両陛下を拝謁した。
天皇皇后両陛下は1810に皇居内から外の橋の上までお出ましになり、橋の上から参列した国民やメインステージを約30分ご覧になる形だった。
報道では奉祝曲第三楽章の「嵐」による歌唱に雅子皇后陛下が涙ぐんだとあったが、第一楽章のオーケストラのところから既に目が潤んでおられたと思う。
安倍首相の祝辞や参列者3万人の国歌斉唱ののち、最後に伊吹文明衆議院議員の万歳三唱で、参列者全員が後に続いた。
正しい万歳三唱の所作は、手のひらを内側に向かい合わせにして両腕をそのまま真っすぐ上げる。決して両手のひらを正面に向けてはいけない。手のひらを正面に向けたまま両腕を上げると、ギブアップ、敗残兵になってしまうからだ。ステージ上の「嵐」の若いメンバーもしっかり手のひらは内側に向けて両腕を上げていた。誰かがちゃんと彼らに事前打ち合わせしたのだろう。
万歳三唱が終わって、生の吹奏楽が流れ始めると、更に「天皇陛下万歳」「皇后陛下万歳」の先導音声が何度も流れた。私の周りにいた参列者も、「1回じゃないの?」と苦笑と戸惑いながらも万歳を続けた。天皇皇后両陛下が皇居内へ戻られるまでずっと続いた。
この何度も万歳三唱を参列者に「強要」することについて、予定外?いや運営側は予定外ではないとの発表、参列者からは何度もやらされ怖くなった、など批判的なコメントばかりが翌日のマスコミネットニュースで報道されていた。
私もその場にいて、「まだ続くんだ」と思いながら繰り返し万歳をしたが、あの万歳の繰り返しは運営側がしっかり計算しつくした絶対必要な万歳であることを帰宅してじっくり考えみて合点が行った。つまり、伊吹議員の万歳三唱が終わって、楽団の奉祝曲が流れると、プロクラムはこれですべて終了だから、参列者の一部はさっさと立ち上がってガチャガチャと帰りの支度をするはずである。でもその時両陛下はまだ橋の上におられる。両陛下が最後まで皇居の中へ完全に戻られるまで(両陛下が見えなくなるまで)、参列者を最後までお見送るさせるために、万歳三唱を繰り返したのだ。運営側による、参列者行動のコントロールが効いた万歳だった。

[●] 天皇陛下即位 奉祝まつり2019年11月09日 22:10

秋田の奉祝竿灯
政府と奉祝実行委員会主催の天皇陛下即位奉祝まつりに行ってきた。全国から伝統芸能、神輿が集まり皇居前内堀通りを練り歩く。
岩手盛岡から来たさんさ踊りは男女が花笠をかぶり、太鼓を抱えながら速いテンポのお囃子に合わせて全員が一糸乱れぬ同じ動きで全身を使って踊る。その動きは見ていても相当ハードなのだが、額に汗にじませながらも全員が笑顔で実に楽しそうに踊る。
次は秋田の竿灯だ。今回初めて見るまでは、単に提灯のデコレーションを掲げて練り歩く、ぐらいにしか考えてなかった。が、とんでもない。何十キロもあるだろう提灯の装飾を長くしなった竹竿一本で支え、更にその竹竿を片手で持ったり、おでこに乗せたり、腰に乗せて竹竿一本で提灯のバランスをとる。疲れて来たら掲げたまま仲間にうまくバトンタッチする。今日の竿灯の提灯は即位奉祝特別仕様。丸の内の摩天楼街の青空を突き抜け実に美しかった。
全国から国民が上京し、このように皇居前で二重橋に向かって踊りを天皇陛下に奉納し即位を奉祝する姿を見ていると感動が込み上げてきた。今度は是非それぞれの地元へいって、本場の祭りを見てみたい。

祝 令和天皇即位の礼2019年10月22日 12:25

令和元年(皇紀2679年)10月22日の本日今上陛下の即位礼が執り行われる。国民より心からお慶び申し上げます。弥栄弥栄。
即位礼には伝統的な旛が用いられる。先般麗澤大学の【令和元年特別展】に立ち寄り、大正天皇即位の際に用いられた即位旛のレプリカを拝謁してきた。レプリカと言っても当時本物を作った職人が同時にサンプルや予備で複数作成したものでありほゞ本物である。
左から 
・頭八咫烏(やたがらす)…『古事記』にて神武天皇を導いた3本足のカラス
・太陽
・萬歳
・月
・金鵄(きんし 金色のトビ)…『日本書紀』にて神武天皇を助けた金のトビ
錦の糸で細かく刺繍が施され重々しくも美しい旛であった。

ところで
日本の祝日「建国記念日」は2月11日。これは初代の神武天皇が今から2679年前のこの日に天皇に即位した日が由来である。令和の御代の今上陛下は神武天皇から数えて126代めの天皇陛下で、天皇陛下の「父方」のみを系図でさかのぼっていくと途切れることなく一本の線として続く、これがいわゆる『万世一系』である。
上智大学名誉教授の渡部昇一先生が海外で日本の皇室について説明したところ、「2000年以上前から今にいたるまで同じ血統で125代続いている日本の皇室は、西洋の神話の時代が今も続いていることを意味し、まさに奇跡だ」と海外の学者からも驚かれたという。日本の皇室はそれだけ貴重であり、日本そのものなのである。だから今回もこれだけ多くの各国要人が国の体制、イデオロギーに関係なく日本へお祝いに駆け付けて来てくれるわけだ。
女系天皇、女性天皇と巷でざわついているが、これについては別の機会につぶやくとして、今日はお祝いに徹することとする。
弥栄弥栄。

追:朝からシトシトと雨が降ってあいにくの日であったが、即位礼正殿の儀が行われる13時前に太陽の光が部屋に差し込んできたので、びっくりしてカーテンを開けると、雨はやみ晴天の青空に。皇室にはやはり天照大神がついておられる。正殿の儀が終わり14時を過ぎるとまた、東京の空はまたスーッと曇りだした。

即位礼についての参考記事
https://wa-gokoro.jp/event/Nationalaffairs/384/