50年ぶりに訪れた西阿波のかずら橋2023年09月02日 17:37

この夏、50年ぶりに徳島県西部のかずら橋を訪れた。50年前の当時私はまだ小学生で、蔓のつり橋を渡ろうと思ったら、横板(そろばん板)の間隔が自分の足の大きさより広く、下を見ると急流が流れていて随分怖い思いだけは記憶に残っている。

今回は半世紀経って随分大人になっているし、自分の足も大きくなっているので、そんなに怖いことはないだろう、楽しむつもりで渡り始めた。 渡りはじめはよかったのだが、やはり段々怖くなってくる。脚がすくんできて、見るとまだ半分もたどり着いてない。このまま我慢して進むのが急に面倒くさく感じてきて、このまま来たところを戻ろうかとも考えた。が、戻るにも踵を返すこと、またそれも怖い。行くに行けず、戻るに戻れず、このどうにもならないという気持ちでさらに恐怖感が増した。

迷った挙句、進むことにした。我慢してなんとか渡り切った。大人になったから大丈夫だろうとなめてかかっていたが、かずら橋はやはり怖かった。

徳島県立文書館(もんじょかん)には昔のかずら橋の絵葉書が残っていた。池田荻田書店発行の絵葉書で、「徳島県美馬郡西祖谷山村カヅラ橋ノ全景」というのがある。発行年は不明、「戦前」としか記載がない。

この写真を見ると、かずら橋の角度が随分急である。これを渡るときの恐怖感は今のかずら橋の比ではないだろうと思う。

かずら橋のガイドさんにこのことを話すと、「昔のかずら橋は落ちて初めてその都度かけなおすことを繰り返していた。その写真のかずら橋の角度が急なのは、段々弛んできて、落ちる寸前だったかもしれない。今のかずら橋は、蔓だけではなく、実は中にワイヤーを通して補強している。サイボーグの橋や。」と教えてくれた。

サイボーグの橋とは面白い表現をするものだ。確かにこれだけ観光地の売り物になっているかずら橋、なにか事故があっては大変だし、懸け替えるのに休業するのももったいない。

  サイボーグになる前のかずら橋