11回目の3月11日2022年03月11日 22:04

11回目の3.11を迎えた。
あの日は都内にいて、ちょうど午前中の営業外回りが終わり、出先でお昼を食べたあと、会社へ戻る途中だった。
乗換駅に着いた途端に揺れ始め、しばらくしてから乗り継ぎ鉄道の改札に向かったら、運行停止しているという。会社に連絡しようとしても携帯電話が通じない。
同じ改札口に途方に暮れたインド人の家族がいた。聞くと、その電車で入管事務所に向かうところだった。茨城県からやって来て、今日中に手続きをしないと在留許可が切れてしまう、なんとか入管に行きたいという。
入管事務所はちょうど私の会社と同じ方向だった。
「私がタクシーを探します。私を途中で降ろしてそのまま入管へ向かえばいい。タクシー代は払ってくださいね」と申し出た。インド人は承諾した。
一緒にタクシー乗り場に行くと、既に長蛇の列。
駅裏のちょっと外れた場所に行くと、ちょうど客が降車したばかりのタクシーを見つけ、運転手にそのまま待つように言ってインド人家族を連れてきて一緒にそのタクシーに乗った。
入管事務所へ向かう途中も余震でゆらゆらと揺れているのが、車に乗っていても分かった。10分ほど走った後、ちょうど私の会社方向と入管事務所の分岐点だったので、「このまま入管へ乗っていきなさい」といって私はタクシーを降りた。
そこから徒歩20分かけて会社のビルにたどり着いた。ビルのエレベータは停止していて、事務所がある21階まで階段で上がった。
「行方不明」になっていた私の姿を会社の人たちが見つけて、「良かった、良かった」と言って、出迎えてくれた。
その後地震の影響による業務残務で夜22時まで会社に残った。ひと段落してそのまま会社に泊まる者もいたが、私は2時間かけて徒歩で深夜帰宅した。8時間かけて歩いて帰った同僚もいた。
金曜日の長い一日だった。
翌日、中国留学中ルームメイトだった福島県南相馬の友人の事が気になり、インターネットで被災や津波状況など調べたが分からず、それから3年経ったときに連絡がとれ、無事だったことが分かった。
それ以来その友人とも定期的に連絡を取り合っている。

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