地方が消えていく2020年01月06日 00:10

地元のシャッター街
私が子供の頃の昭和30年~40年代、地元の街は子供も多く活気があった。屋根付きのアーケード街に本屋、文具店、乾物屋、蒲鉾屋、八百屋、肉屋、魚屋、金物屋、風呂屋、玩具屋、楽器店と個人商店が並び行き交う人々で街はにぎわっていた。それが一変したのは全国展開する大型ショッピングセンターが私の地元にも進出してからだった。我々田舎者は物珍しさもあって、こぞってショッピングセンターへ出かける。品数も多く、定価よりも少し安く、店員に気兼ねなく商品を手に取って選べる自由さもあって瞬く間にショッピングセンターは地元の銀座と化し、アーケード街で買い物をする人々が激減した。跡継ぎ問題もあって、この40年間で私の地元のアーケード街や公設市場の個人商店は次々と廃業した。
私の同級生で文具店、鶏肉店、酒屋、肉屋、喫茶店、洋服屋、レコード店、御菓子屋、和菓子店と様々な分野で個人経営している家が多かったが、お父さんの後を継いで今でも商売している同級生は鶏肉店・肉屋・クリーニング店だけである。
一人の消費者が地元の個人商店で消費すればそのお金はその地元内で還元され最終的に50%程度が地元に残るそうだ。つまり私が個人商店で10000円消費すれば、その個人商店もその10000円を使って消費をしていき、最終的には5000円程度がその自治体に残ることになるらしい。ところがもし私が同じ10000円を大型ショッピングセンターで消費すれば地元に残るお金は10%程度まで減り、ほとんどが地元から流出していくそうだ。これでは地方の個人商店や自治体が苦しい訳だ。
政府が大規模小売店舗立地法を施行したことにより、地元の小売店との共存と政府は適当なことを言いながら、全国の商店街が次々とシャッター街になっていった。
戸越銀座や高円寺商店街のような首都圏も例外ではなく、地方と同様に個人商店は次々と姿を消し、代わりにコンビニ、全国チェーンの飲食店・テイクアウト寿司屋・マッサージ店などがテナントに入っては消えていく。表面上活気はあっても商店街の店は画一的で、「あの商店街のあの名物店」的特徴が消えつつある。
地元で生き残っている同級生の鶏肉店は公設市場内にあり、周りの店舗がどんどん廃業・撤退しガランとした施設内に残る3店舗のうちの一つである。あとの2店舗は高級牛肉店と鮮魚店であり、客単価もそこそこあるのだが、うちの同級生の鶏肉店は文字通り鶏肉のみで商売をしており、100グラム70円~200円の世界である。実家に戻るたびに同級生の鶏肉店で買い物をするが、どう頑張っていろいろ買っても1000円ちょっとだ。カウンター越しにお父さん、同級生とその息子さんが3世代一家総出で寡黙に鶏肉処理の作業をしている。店に立つ同級生から「いつ戻ってきた?いつ向こうに帰るの?」と聞かれる。「定年になったらこちらへ戻るつもり」と答える。私が都会へ移った30年の間、地元に残り、地元を守り続けて来てくれた鶏肉店の同級生には感謝と敬意を感じ本当に頭が下がる。
「政治は誰がなっても同じ」と街頭インタビューで答える国民をTVで看るが、絶対違う。バカな政治家にバカな法律を知らない間に通されると、このように地方が疲弊し日本の姿が簡単に変わっていく。IR推進法(総合型リゾート、カジノ法案)もバカな法律の一つだ。しっかりした政治家を選ぶ責任が我々に問われている。