時代の逆説~The Paradox of our Age~2019年12月03日 23:00

私は戦後生まれでこの便利な世の中に生きているが、つくづく昔の日本に生きたかったと思うことがある。今のこの時代、本当に住みにくい。

「自由」を重視した結果、自分のことだけ考えて「おせっかい」が無くなった。
街中で多くの大人が病的な熱心さでゲームに興じ、キレやすい、白痴化が加速している。
「表現の自由」と言いながら政治やメディアはすぐ揚げ足をとって「言葉狩り」をする。
「男女同権」として男女の「区別」を無くそうとして、余計女性にプレッシャーがかかり生きにくくなった。
「LGBT」「障碍者」を過度に「平等」扱いしたことで、それ以外の大多数の人が不便を感じるようになった。
「子供の個性を伸ばす」という教育方針の結果、先生は正解を放棄し、子供は答えがわからないまま。
「民主主義」が絶対的ものと誤解し、責任と覚悟を以て決断できるリーダーがいなくなった。
自分の事を自分で決められた普通の国日本も、戦後連合国の脅しに屈し、いまだにアメリカ、中国の顔色を見ながら「世界のATM」として金だけむしり取られている。

日本人は本来もっと賢明な民族だと思うのだが、「素人」の私から見ても明らかにおかしいと思う政治、報道、行政が多すぎうんざりする。

中国に侵攻され、ヒマラヤを越えてインド・ダラムサラに亡命した
チベットのダライラマ法王も今の世の中を詩のなかで嘆いているので紹介する。

The Paradox of our Age

We have bigger houses but smaller families;
more conveniences, but less time.

We have more degrees but less sense;
more knowledge but less judgment;
more experts, but more problems;
more medicines but less healthiness.

We’ve been all the way to the moon and back,
but have trouble in crossing the street to meet our new neighbor.

We built more computers to hold more copies than ever,
but have less real communication;
We have become long on quantity,
but short on quality.

These are times of fast foods but slow digestion;
Tall men but short characters;
Steep profits but shallow relationships.

It’s a time when there is much in the window but nothing in the room

フェイクニュース2019年12月04日 21:09

フェイクニュースという言葉が日本人にも知られるようになったのは
米国トランプ大統領が使い始めたのが発端だった。
ナショナリズムでアメリカの国益最優先で大統領選挙に立候補したトランプは、FOXテレビを除くすべてのマスメディアから、あることないこと総攻撃を喰らった。マスメディアは国際金融資本の息がかかった機関でありグローバリズムを推進する側であるため、国益重視のトランプが如何にダメ候補かを徹底的に宣伝した。しかし民意はこのマスメディアの嘘を見抜き、前評判とは全く正反対の結果としてトランプ大統領が誕生した。私が真の「民主主義」の逆転劇に初めて震えた瞬間だった。
トランプ大統領はこのマスメディアの偏向報道を「フェイクニュース」と呼んで警戒し大統領就任後も自らは常にツイッターで直接発信している。だからこの「フェイクニュース」という言葉は、そもそも偏向報道をするマスメディアを非難した言葉であった。
ところがその後日本のマスコミはこの言葉の意味をすり替えた。本来トランプが意味したマスメディアの偏向性については都合が悪いからか一切触れず、様々なクソミソ情報であふれているインターネットの世界こそが「フェイクニュース」であると問題をすり替えた。このすり替えこそがまさしくフェイクではないか?
インターネットの世界は確かに、嘘も真実も入り混じってはいるが、マスメディアよりは真実が多いし、何よりも我々が取捨選択できる自由な環境がインターネットでもある。マスメディアに押し付けられるフェイクニュースに我々もそろそろうんざりしてきた。

2つ以上の理由2019年12月07日 19:40

人の人生、子供時代は子供なりに、大人になっても当然、毎日が選択の日々である。私も当然、日々の小さなことから、運命の分かれ道まで、様々なことで選択を迫られてきた。
自分が何かを決断するにあたって、最近「そういえば」と気づいたことがある。それは、何かをするかしないか迷ったときは、大体自分自身の中に2つ以上の理由が自然に頭に浮かんだら、それをする(もしくはしない)と決めていることだった。「2つ」というのがミソである。

例えば、天気が悪く、イベントに出かけようかどうか迷ったとき。
1つめ:今日行かなくてもそのイベントはいつでもいけるのか。あるいは今日しかないのか。→イベントは明日もある。
2つめ:天気はどうか。→今日より明日のほうが天気がいい。
結論:理由が2つそろったので、今日は止めて明日出かけよう。
といった具合だ。

当たり前と言えば当たり前なのだが、
理由が1つだけではまだ弱い。
知らず知らずのうちに2つめの理由が浮かんでくると、
「よし、決めた」と、選択への拠り所としている人生の後半である。

1300年前にタイムスリップ~大嘗宮~2019年12月08日 21:08

大嘗祭が執り行われた大嘗宮
先般天皇陛下が大嘗祭を執り行われた社である大嘗宮の一般公開に行ってきた。神道に則った木造建築群だ。大嘗祭が7世紀から始まったとされるということは、皇居内のこの大嘗宮も1300年前の様式を今に伝えるものであろう。

上智大学名誉教授の渡部昇一先生がかつて、20年に一回の式年遷宮がある伊勢神宮とギリシャのパルテノン神殿について比較し言及されたことを思い出した。
ギリシャのパルテノン神殿は今から約2500年前に建てられたとされ世界遺産にもなり、我々も見学することは可能だ。しかし、それは今は崩れた廃墟であり、建築当時の様子とは違うし、今後も年月とともにどんどん朽ち果てていく。
一方伊勢神宮の式年遷宮で建てられる社殿は紀元690年より遷宮が始まって以来20年に1回同じ様式で社殿が毎回建て替えられ、1300年前と同じ真新しい姿で民が目にすることができる。このように古いものが廃墟ではなく、1300年間建て替え続けられ、いにしえが今に生きつづけているのは日本しかない、とおっしゃった。

大嘗宮の建物についても実に素朴で
東京駅の周辺高層ビル群の風景から
一気に1300年前にタイムスリップした気持だった。
凄い人混みではあったが、皆善良な日本国民という感じで、
押しあいも争いもなく、黙って列に並んで警官の指示に従って
参観していた。

追記:この度の18日間の一般公開で78万人が参観に訪れた。私が行ったときの肌感覚だが、周りの参観者の99.9%は日本人。スマホで写真を撮る今の趨勢の中、30年前くらいの型式の小さな画面のデジカメやハンディカムで写真や動画を撮っている方が多かった。普段からあまり写真を撮らないような方々が出かけてきたとお見受けする。

追記2:宮大工から見た大嘗宮
という興味深い動画あり。47分当たりから始まる。
https://www.youtube.com/watch?v=hHT0s7FmljU

インターナショナルとグローバリズム2019年12月11日 15:15

日本でも小泉内閣の竹中平蔵あたりから盛んに「グローバリズム」という言葉が使われ始め、日本も世界の「趨勢」に乗り遅れるなとばかり企業でも「グローバル本社」とか「グローバル契約」とか、盛んに「グローバリズム」が先進的で良いもののイメージで捉えらえている。果たしてそうなのか。

これとよく似た言葉で「インターナショナル」という言葉がある。日本語では「国際」である。「国際人」とか「国際的」というように使う。が、インターナショナルは決してグローバリズムではない。
INTERNATIONALの単語の構成を見ると、NATION(国家)とNATION(国家)がINTER(行き交う)がINTERNATIONALであって、大前提として「国家」NATIONが存在する。お互いが自分の国家を意識したうえで、INTERするのである。だから「あの人は国際人だ」といえば、その人はまず祖国をしっかり意識したうえで、自国との比較において、相手の国家と価値観を共有したり、違いを議論できる人の事である。

しかし「グローバリズム」は違う。国家間の境界をなくし、地球全体を「ボーダレス」にし国家そのものを否定する考え方である。「地球人」と自分の事を名乗っている人も「国」という考え方がないのである。

このグローバリズムを考えたのが国際金融資本と呼ばれる人たちで、アメリカではWALLSTREET,イギリスではCITYの主にユダヤ人である。ロックフェラー、ロスチャイルドなどがその代表で、国家を持てず、欧州各国で「虐げられてきた」ユダヤ人にとって、地球上の国家そのものをボーダレスにしてなくしてしまえば人類全体が自分たちユダヤ人と同じ境遇になることを狙っているのである。

ロシア革命、フランス革命をはじめ、最近では「アラブの春」、「テロ組織ISイスラム国の出現」、「アフリカからの移民問題」、「反トランプ運動」、「空港や水道など基本インフラの民営化」。これらはユダヤ人が目指す地球から国家をなくすというグローバリズムのための方法としてとらえると、すべて説明がつくのは偶然だろうか。

リベラルな人からすると「国は暴走するもの、だから国民が監視しなければいけない」と言われるだろうが、一方で我々国民は国家があるからこそ国家に守られてもいる。その守ってもらえる国家が無くなれば、先般の台風被害ではないが、全てが自己責任、自己管理となり、ロスチャイルドらのようにお金があるものだけが自分を守れる世の中になってしまう。
インターナショナルはいいが、グローバリズムには反対である。

製本の世界に飛び込んで~手製ノートを贈る2019年12月15日 14:03

角背ドイツ装上製本
10年勤めてくれた後輩の寿退社記念にケース付きノートを作製した。
【作品説明】
ケース:夫婦箱(めおとばこ)
ノート:角背ドイツ装上製本 本文(ほんもん)は中性紙無地
布クロス:William MorrisのChrysanthemum
製作日数:3か月

会社員の私が趣味で製本の世界に飛び込んだのはちょうど2年前だった。ある資格を取るため週末神保町の学校に通っていた帰り道ふと立ち寄る古書店で戦前の書籍を買い始めたのがきっかけだった。
基本1冊1,000円以下、時には1冊100円、200円で90年以上前の古書が買えた。私が主に購入する分野は、教科書や地理、歴史、作法に関する古書。なぜならこれらの分野は、敗戦後のGHQ支配から現在に至るまで日本人の価値観が大きく変わった分野だからである。他国の何者にも支配されておらず思想的にもまだ「自由」だった戦前に、日本がどんな価値観で地理、歴史を捉えていたか、古書を通じてタイムスリップしたかったからだ。
毎回、手が届く範囲内の価格で購入するため、大抵ページが外れたり、表紙が無くなっていたりしている。中身が読めればいいと思って買うのだが、きれいな状態で読みたいと思う気持ちもあった。
修理に出せば数千円、数万円かかるかもしれない。
もともと数百円で購入した古書に、数千円出すのも割に合わない。
それならいっそ、自分で修理すればいい、手間だけで修理代はかからない、と思ったのが製本を始める動機だった。
修理するには、まず、書籍の構造を知らないと始まらない。本の修理は一旦バラバラにしたものをもう一度組み立てる作業だからだ。

ある製本工房の教室に通い始め2年になる。最初は何冊も何冊もノートを作り、本の構造を頭に叩き込んだ。ここ1年はそろそろ修復の域に入ってきて、数百円で買ってきたボロボロの本をきれいに装丁しなおし、生き返らせている。

これまで製本教室につぎ込んだ学費や材料費はもしかしたら、修理業者に出す費用より結局高額になったかもしれない。が、自分が思うような装丁や表紙をデザインできる醍醐味は、技術を学んでいるからこそ味わえる。
今回職場の後輩に贈るノートも、相手の嗜好を色々思いめぐらしながら、最後に喜んでくれる表情を見るのを楽しみに作製したものだ。
次は、以前お世話になった会社のOBが退職後自費出版した句集をケース付きハードカバーにしようと預かっている(もちろん無料で)。

男女格差があるのは自然の姿2019年12月17日 23:11

男女不平等は自然の姿
スイスのシンクタンク、世界経済フォーラム(WEF)が世界153カ国を対象とした「男女格差報告」の2019年版を発表し男女平等の順位で、日本は121位と発表。教育と健康の側面での格差はほとんど解消されたが政治では議員や閣僚に占める女性の比率が低く、管理職や経営者の女性も少ないと指摘した。

ちょっと待ってほしい。そもそも男女は性差があり、それぞれ得意分野で役割がある。女性の議員や閣僚が少ないというがそれは政治に関心、意欲のある女性が全体比率で少ないからであって自然な姿である。
第4位のスウェーデンなどは、法律で女性議員をXX%以上と国で強制的に決めているため、ある意味無理やり女性を議員にしているのである。中には不向きな人、意欲の薄い女性もいるかもしれない。また、女性が男性化しているため、男性は家庭に戻っても安らぎを得られず、自殺率が高いそうだ。あの16歳の強気なグレタさんもスウェーデン人である。男女の格差がないというのはそういうことである。

かたや、学校の成績などは総じて女子のほうがまじめで成績がよく、私が卒業した大学も、本当に成績順に入学させたら女子大になる、と当時教授は堂々と教室でおっしゃっていた。だが将来学者の育成を考えると無理にでも男子を合格させざるを得ない。医科大学でも、医者になってからの離職、休職を考えて女性の合格率を低めにし、男性優先で合格させていたのが問題になったが、これもやむを得ないことだと思う。医者を育てても辞められると我々患者が困る。女性医師の人生もあるから辞めるなと言えば、出産、育児の機会を奪うことになり少子化にもつながる。

男性は男性の、女性は女性の得意分野と役割がある。「女性らくし」というとフェミニズムの人は、女性差別だとおっしゃるらしいが、「女性らくしく」「男性らしく」、これこそフェミニズムの人たちも普段声高に叫んでいる「個性」だと思う。

動物行動学研究家の竹内先生(女性)の男女平等と同性愛について動物学的に説明している興味深い動画があるので記録しておく。
https://www.youtube.com/watch?v=aNxm-tmCYjQ

日本が習近平を国賓として呼ぶべきでない理由2019年12月24日 22:40

新橋駅前にて在日ウイグル人の皆さんの抗議活動
私の知らぬ間に、安倍首相が訪中し習近平・李克強と会談し、来春習近平を国賓としての招聘を再確認していた。首脳会談で習近平が来日するのは構わないが、国賓となると別である。日本が国賓として呼ぶべきでない理由は以下の通りである。

①中国の軍事的船舶が昨年1年間で275日尖閣諸島の領海、排他的経済水域を侵犯している。日本の領海領土を脅かすのが習近平の国である。
②日本人が未だいわれなき理由で11名拘束されている。中には懲役15年以上の判決を受けた日中友好人士もいる。日本国民を不当拘束しているのが習近平の国である。
③歴史においても、所謂「南京大虐殺」「中国人の慰安婦」など中国側でさえ根拠が明確に示せないことについて反日の道具にしてチャイニーズの反日感情を煽っている。それが習近平の反日国家である。
④ウイグル地域を人民解放軍によってどんどん侵略し、今でもウイグル人を100万人単位で根こそぎ拘束し、拷問、臓器摘出売買の道具として労働改造所に押し込み、若いウイグル女性を漢民族と強制結婚させてウイグル人自体を無きものにしようとしている(民族浄化)。日本が習近平を国賓に呼ぶということは、日本がこれに賛成もしくは黙殺していることと同じであり、アジア各国を始め世界の笑いものである。
⑤国賓で呼ぶということは、天皇陛下とも握手をし、宮中晩餐会にも招き、ひいては中国から返礼で訪中を求められるということである。天皇陛下が血塗られた習近平の手と握手をし、常に国民の安寧を祈ってくれている天皇陛下を政治利用してチャイナに送り込むことは日本人としてやってはいけないことである。

ダラダラと書いたが要するに
私の家の隣に住んでいるヤクザが毎日のように私の家の庭をうろつき、突然私の家族を理由も言わず拘束して解放せず、近隣の住人も拘束して監禁し、殺しては臓器売買をしている。そのヤクザを自分の家に客として呼ぶ主人がどこの世界にいますか、ということ。様々な悪行についてヤクザと話し合いをするのはいいが、決してヤクザは客として招くような関係性ではないし、招くべきではない。国賓ということはヤクザを客として歓迎するということであり、如何に馬鹿げていてトンチンカンなことを日本はしようとしているか。

一昨日新橋駅で下りたら駅前広場で在日ウイグル人の皆さんが雨が降る中、涙ながらに習近平国賓反対を訴えていた。中国共産党によるウイグル人への拷問は犬猫以下の扱いで本当に恐ろしい。香港の民主化デモ然り、中国共産党はこの21世紀に現存するナチズムである。
(14:48より在日ウイグル人女性の現状報告有)
https://www.youtube.com/watch?v=NMwwXRHxadI

習近平国賓反対の署名活動をしている団体があったので、日本国民として意志を示した。
https://kunimorishu.jp/

川口市の宮内さん2019年12月26日 23:22

宮内さん作製のミニ幟
昭和39年開催の東京オリンピックで使用された聖火台は、鋳物の街埼玉県川口市で製造された。その聖火台製造に当時関わった職人のお一人だとおっしゃる川口在住の宮内さんというおじいさんとご一緒する機会があった。私が聴講する講演会や集会の場にいつもいらっしゃっており、その際には、ご自宅で趣味として制作されたミニ幟(のぼり)やオブジェのいくつかを毎回お持ちになり、希望者に無料で配っておられた。私も頂戴したかったのだが、なかなかの人気でこれまでご縁がなく、順番が回ってくることはなかった。
この度の年末、再び集まりの場で、宮内さんが製作されたミニ幟をついに頂けることになった。持ち帰って眺めていると、さすが職人さんが作られたものだけあって、丁寧な仕事をされている。先の東京オリンピックに関わられた方の手作りということで感慨深く自宅に飾っている。好きな言葉やロゴが入った旛(はた)をそのうち自分でも色々作ってみて、宮内さんの幟に掲げてみようかな、などと思っている。

漆黒の黒豆2019年12月30日 13:50

漆黒の黒豆
正月帰省で実家に戻ると84歳の母が作った黒豆煮があった。見るとこれまでみたこともないような完璧な漆黒の液の中につやつやとした黒豆が鎮座していた。あまりにも見事な黒だったので「この黒色は何か加えたのか」と尋ねたら、釘と一緒に煮たといい、5寸釘を数本見せてくれた。錆びてはいるか赤茶けた錆びではなく年季が入ったねずみ色の釘だった。恥ずかしながら黒豆と釘を一緒に煮るというは初めて知った。
便利な世の中になったので早速ネットで調べると、釘の錆びの成分と黒豆から水に溶け出した色素アントシアニンが結合し綺麗な黒色になるそうである。母の姿が鏡のように映るほどの漆黒。
化学的な理屈は分からなくても、伝統や言い伝えからこうやって引き継がれている先人の知恵というのはすごいものだとあらためて感じた。