風邪を診てくれない内科 ― 2022年03月02日 20:08
受付嬢「どうされました」
私「先週末から喉が痛くなって近くの耳鼻科で喉と咳の薬を処方してもらったのですが、身体の節々がいたいので診てもらおうかと思いまして」
受付嬢「熱はありますか、普段何度ですか、今朝も測りましたか」
私「熱はありません。今朝も測って36.3度です」
受付嬢「ワクチンは打ちましたか、以前コロナにかかったことありますか?職場で調子悪い人、濃厚接触者いませんか?」
私「ワクチンは1度も受けていません。職場も調子の悪い人はいません」
受付嬢「(PCR)検査を受ける意志はありますか?」
私「ありません」
受付嬢「今日は自宅ですか」
私「いえ、出社しています。在宅の事もあるし出社の事もありますが特に寄り道することも大きなイベントに参加することもなく自宅と会社の往復です」
受付嬢「ええ?今日は会社にいるのですか?出社していいんですか。会社と相談して、ご自宅の近くの医院か先日処方してもらった耳鼻科にいったほうがいいです」
というわけで、風邪の症状を訴えたら、出社しないほうがいいという。診察もしてないのに、あれこれ指図して暗に受診で来るなと言われた。
これまで2~3年お世話になっていた職場近くの内科で、ホームページのうたい文句でも、「地元に根付いて皆様のかかりつけ医として」なんて書いてあるのに、風邪の症状すら見てくれない内科、日本の開業医はここまで判断力がつかなくなったのか、エライ世の中になったものだと思った。こんなことだと、診察拒否で、コロナでなくて風邪を診てもらえなくて死ぬ人が出てもおかしくない。
こうなったら自己免疫力で治すか、ちゃんと患者と向き合ってくれる医者を探すしかない。
11回目の3月11日 ― 2022年03月11日 22:04
あの日は都内にいて、ちょうど午前中の営業外回りが終わり、出先でお昼を食べたあと、会社へ戻る途中だった。
乗換駅に着いた途端に揺れ始め、しばらくしてから乗り継ぎ鉄道の改札に向かったら、運行停止しているという。会社に連絡しようとしても携帯電話が通じない。
同じ改札口に途方に暮れたインド人の家族がいた。聞くと、その電車で入管事務所に向かうところだった。茨城県からやって来て、今日中に手続きをしないと在留許可が切れてしまう、なんとか入管に行きたいという。
入管事務所はちょうど私の会社と同じ方向だった。
「私がタクシーを探します。私を途中で降ろしてそのまま入管へ向かえばいい。タクシー代は払ってくださいね」と申し出た。インド人は承諾した。
一緒にタクシー乗り場に行くと、既に長蛇の列。
駅裏のちょっと外れた場所に行くと、ちょうど客が降車したばかりのタクシーを見つけ、運転手にそのまま待つように言ってインド人家族を連れてきて一緒にそのタクシーに乗った。
入管事務所へ向かう途中も余震でゆらゆらと揺れているのが、車に乗っていても分かった。10分ほど走った後、ちょうど私の会社方向と入管事務所の分岐点だったので、「このまま入管へ乗っていきなさい」といって私はタクシーを降りた。
そこから徒歩20分かけて会社のビルにたどり着いた。ビルのエレベータは停止していて、事務所がある21階まで階段で上がった。
「行方不明」になっていた私の姿を会社の人たちが見つけて、「良かった、良かった」と言って、出迎えてくれた。
その後地震の影響による業務残務で夜22時まで会社に残った。ひと段落してそのまま会社に泊まる者もいたが、私は2時間かけて徒歩で深夜帰宅した。8時間かけて歩いて帰った同僚もいた。
金曜日の長い一日だった。
翌日、中国留学中ルームメイトだった福島県南相馬の友人の事が気になり、インターネットで被災や津波状況など調べたが分からず、それから3年経ったときに連絡がとれ、無事だったことが分かった。
それ以来その友人とも定期的に連絡を取り合っている。
3.11の5日後にまた地震 ― 2022年03月21日 10:55
老齢のお母さんの介護もしながら、本人ももともと体調がすぐれないところへもって今回の地震。心身のダメージが大きいとのことだった。停電で真っ暗の中、道の駅駐車場へ避難してそこで一晩過ごしたそうだ。本来はお彼岸の買い物や家の支度をする予定が全て駄目になり、自宅の御仏壇もめちゃめちゃ、障子やトイレタンクの重い蓋までぶっ飛んだそうだ。一歩一歩でも環境が落ち着くことを望む。
南相馬には3度を訪れて、お見舞いに伺ったことがある。1度目は東日本大震災から3年目、その友人と連絡が取れたその年に、勝手に岩手から南下する「復興応援旅」敢行し、最後に南相馬を訪れた。15年ぶりの再会だったので、それなりに盛り上がったが、私が訪問することへの負担を考えるとなかなか事前に伺うとは言えない。
2度目は、東京からバスで相馬野馬追を見るツアーだった。ツアーなので、勝手な行動はできず、友人にも相馬に行くことは言わなかった。
3度目に伺ったのは、たまたま福島へ行く用事があり、一日自由時間があるので、ついでにフラッとお目にかかりたいと連絡をとったら「用事があるから来なくていい」と言われた。それでも、家に上がらず顔を見るだけ、いなければお見舞いだけ家の玄関に置いていくつもりで家の前まできた。ピンポンをならすと在宅で、軒先で「元気そうな顔が見られてよかった。こちらが勝手に来たのでじゃあ、元気でね」とお見舞いを置いて帰ろうとすると、別棟の座敷に上がるよう引き留められ、1時間ほど話をして結局盛り上がった。
家のことと体調で人と合うのも面倒なのは十分わかっているが、会ったら会ったで、話が盛り上がり、友人の気晴らしにもなる。横でお母さんも話に入って一緒に笑っている。
無理くり押しかけるのも確かに迷惑かもしれないが、短い時間だし、こういうことも友人にとっては大事だと思う。
東京にいる間に3度目にまた訪れたいと密かに画策している。
火力発電の限界点~原発再開を望む~ ― 2022年03月22日 14:55
・石油価格がこのままどんどん上がれば我が国や国民の暮らしはどうなるのか?
・CO2削減を叫んでレジ袋まで国民から取り上げる日本政府が鉱物を燃やし続けてCO2を出し続ける矛盾を一体どう思っているのか。
先日の東北の地震で、福島の火力発電まで停止したのだから、電力がひっ迫するのは自明の理である。
にもかかわらず、日本政府の経済産業大臣はコメンテータよろしく、節電を国民に呼びかける。アンタら政府がすることは国民に節電を呼びかけることではなく、節電しなくていいような現実的エネルギー政策を至急構築することだ。
リベラリストらは、坂本龍一を代表に、相変わらず節電と再生可能エネルギー推進を呼びかける。坂本さん、あなたが所属していたYMO(イエローマジックオーケストラ)はまさしく電子楽器で金儲けをし、有名になったのですよね。あなたが患った癌も、治療のために放射線治療なさいましたよね?電気を使うな、放射線治療をするなとは申しません。ご自身も恩恵にあずかっているのであれば、原発反対や他人に節電を指図しないほうがいいということです。
節電も各家庭の個人レベルならなんとか我慢もできましょう。これを企業や工場にまで強いられると、会社、国家が立ち行かなくなります。国家や会社が立ち行かなくなれば、結局国民が立ち行かなくなる。節電して国滅ぶ、です。
クリーンな電気自動車などと言われていますが、その電源はどこからくるのですか?結局火力発電で手に入れた電気でしょう?もう偽善やごまかしはやめましょうよ。
我が国も限界に近付いていることにそろそろ気づいて下さい。CO2を排出しないクリーンエネルギーの最たる原発の速やかな再開、半導体を中心とした我が国の他国に頼らなくてもいい経済安全保障の構築、すでに世界から取り残され、ひとりお花畑をやっている日本。政治とは、覚悟と決断、これほどまでに決められない、お役人のような保身の政治で、電力同様、日本が限界に来ています。
淡路島が兵庫県であること ― 2022年03月23日 14:23
江戸時代は阿波の蜂須賀藩領地の一国だった淡路島。それが廃藩置県の時に、淡路島は徳島県ではなく、兵庫県に組み込まれた。そのきっかけにもなったのが庚午事変である。
阿波蜂須賀藩の筆頭家老の稲田家が1609年に淡路島支配を任されて以来、大政奉還までの約250年間、大名並みの石高を誇る淡路を支配し、洲本城城代として勤めてきた。
徳川家と深いつながりのある阿波藩に対して、朝廷とのつながりを深めていった家老稲田家。その亀裂が表面化したのが明治3年の「庚午事変」(稲田騒動)であった。
明治維新後、秩禄処分によって士族に編入されなかった稲田家臣が、阿波藩からの分藩独立を明治政府に願い出た。この動きに阿波藩藩士が反発し、1870年明治3年に、阿波藩士が稲田氏邸宅や稲田家臣の屋敷を襲撃し、死者17名、重軽傷者20名を数え、多数の屋敷が焼失し、貴重な資料もすべて灰となった。これが庚午事変であり、事件を先導した阿波藩士は切腹、稲田氏とその家臣は北海道へ移住開拓命令が下った。
洲本市内には稲田家歴代当主の墓や招魂碑が菩提寺にあるが、庚午事変後も何者かに石が投げられたりして、阿波と淡路の確執は続いていた。
これ以上の「内部」確執を避ける意味もあってか、廃藩置県の際に、淡路島を徳島県には組み込まず、兵庫県に組み込んだと思われる。 私の実家の裏は、昔切腹、首切りの場になっていて「稲田家の恨み」が今でも残っている、だから町内は皆、男主人が先に亡くなり、未亡人の家ばかりだ、と亡くなった父が生前よく言っていた。そう言っていた父も先立ち母が残され、確かにうちの家の周りはみな未亡人の家ばかりだ。
洲本市内にある益習館:稲田家の西別荘で私塾として使われた。そこの庭園が国指定名勝になっており、明治維新の際には西郷隆盛や大久保利通も立ち寄って滞在したと言われている。
現在の益習館庭園 石燈籠の大きさが圧巻
脳検定をしてみたら ― 2022年03月25日 18:35
最近、目の前にいる同僚に話しかける時一瞬相手の名前が出てこなくなったり、途中で何をしようと立ち上がったのか忘れてしまうようになって気になっていた。脳ドックをしても特に認知症も脳梗塞の傾向もなく、異常なしで診断された。それでもやはり思い出せないことが続いていた。
ちょうど脳検定のモニターを募集しているのを見つけ、やってみることにした。ある企業が認知症にも効くかもしれない健康食品を提供してくれこの食品を食べる前に脳検定をし、1か月食べ続けたあともう一度脳検定をして、その食品が脳の活性化に効果があるかどうか調査するモニターだ。
初めて脳検定をやってみたところ、なんと総合点が32歳並みの脳となった。実年齢より25歳以上も若いことになる。仕事をしているときも、自分でも頭の回転はわりに速いな、とはうすうす感じていた。ただ、最初にもいったが人の名前が出てこない。もしかしたら頭の回転が速すぎて、口が着いてこないのかな、とか楽観的に思うしかないか。
とはいうものの、この脳検定が意外にハードで相当の集中力と瞬発力を要する。分野を細かく分けて、一定の時間内に如何に迅速に、且つ間違えずにどれだけ多くの回答ができるかを多角的に測る。
どういう項目かというと
①数字の記憶: 画面で下図の羅列を見て、次の画面で覚えた羅列をランダムに指定された右から、左から入力していく、桁がだんだん増えていく)
②言葉の記憶: 画面で8つの物の名前を見せられ、次の画面で物の名前が出てきて、先ほどの8つに入っていたか否か答える)
③空間把握: ブロックを積み上げた立体形を見せられ、次の画面で、視点を変えた同じ立体形を見せられ、間違いをひとつ探す)
④記憶と計算: 数の羅列を見せられ、次の画面でまた数の羅列を見せられる、その次の画面で、1つ前の数と今見えている数を足し算した答えを次々と答えていく、進むにつれ、2つ前、3つ前と難度が高まる)
⑤変化推理: ある図形があり、ブラックボックスを通ると、その図形が変形していく。図形の変形結果を見て、ブラックボックスの規則性を答える。
一番お手上げだったのが③の空間把握だ。普段地図を見る時も、自分の位置を確認しながら地図をひっくり返したりすることがあるが、その弱点がもろに出た。図形を見せられ、見る視点を変えられただけで、もうどれが同じ図形か頭が真っ白になって分からなくなる。2度ほど受けなおして、やっと実年齢を少し下回る成績となった。

これくらいの図形なら即答できるが、段々図形が複雑になるにつれ、頭がまっしろになっていく。
この空間把握を向上させる何かいい訓練方法があったら知りたいものだ。半月後の食品摂取した後の脳検定や如何に、だ。
製本道具をそろえる~プレス機~ ― 2022年03月26日 14:00
4年程製本工房に通い、本の修理工程がひととおり分かってくると今度は自分の道具が欲しくなってくる。しかも、いい道具が欲しくなる。 製本工房の親方は職人なので、効率と使いやすさを極めた長年愛用の道具を持っており、それを惜しみなく我々生徒にも貸してくれる。だからこそ親方と同じようないい道具が欲しくなる。
製本工房の道具というと、ユーザーがコアなこともあって、需要も供給も必然的に少ない。そんな中、ずっと欲しかったパッキングプレス機を手に入れることができた。
親方と全く同じタイプのプレス機は残念ながら、メーカーが生産中止して手に入らなかったため、同じような信頼性の有るメーカーが生産してるものの中古をヤフオクで競って手に入れることができた。新品の1/3ほどの価格だった。
この製本プレス機は当然本を挟んでプレスをかけることもできるのだがが、一番の目的は製本過程の本を挟み、プレス機を倒して、本の背を細工するのに非常に便利なことだ。
本の背に丸みを出したり、栞ひもや花布(はなぎれ)、クータを付ける背固めの作業にも便利だ。一番欲しくて、一番大掛かりな道具が手に入った嬉しさを密かに噛みしめている。
本を挟んでプレス機を倒し、本の背を細工する 本の背の丸みだし、耳だしをするのに便利 背固めをしたらあとは、表紙にくるむだけ




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