自分が試された2日間2022年07月24日 21:53

この週末の2日間、自分が試される3つの局面があった。
ひとつめ。
カフェでモーニングセットを頼み、飲み物だけ先にもらい、サンドイッチを立ったまま待っていた。数分して出来上がり店員から「お待たせしました」とカウンター越しに出され、取るのに手を伸ばしたところ、方向が悪かったようで先にもらっていた飲み物が倒れ、全部こぼれた。
お金を払った飲み物を飲む前に自分でこぼしたのは初めてだった。当然商品を消費者が受け取った後の消費者の「過失」なので、「カウンターにこぼしました、済みません」と言って、こぼれた後の空っぽのグラスを差し出した。運が悪かったと思って飲み物をもう一度買いなおすか、それも癪だな、と思っていたら、店員さんが「お召し物は汚れませんでしたか」と言って無料で新しく飲み物を作ってくれた。実は心の中で店員の反応を試してみた自分もあったが、「恐れ入ます」と言って有り難く頂いた。

ふたつめ。
外出先へ急ぐのに山手線の池袋駅に下りた途端に、ホームにPASMOが入ったパスケースが落ちているのに気づいた。先に下りた前の乗客も通り過ぎた後、私の目にそれが飛び込んできた。先を急いでいたのだが、その境遇を自分に置き換えた時の無くした人の不便さ、第三者が拾得して悪用することの可能性が頭をよぎり、人混みの中、身をかがめて拾った。駅の改札の案内所まで階段をかけ上がり、「14番線に落ちていました」と言って置いてきた。

みっつめ。
 牛丼屋で朝食を摂ろうと店先まで行ったら、脇の路地の角で変な動きをするホームレス風の男性がいた。炎天下だったし一旦店にはいり朝食を摂っていたが、その男性が店のガラス越しから嫌でも目に入ってくる。
 男性は、身体全体が麻痺しているようで身体をよじりながら、腰を曲げてゆらゆらしている。仕舞には地べたに座り込んで自動販売機の前で身もだえている様子だった。黄色いTシャツを着ているが、なぜかインドの僧侶のように灰色の布きれを肩で結んで羽織っている。布きれの下から見えるズボンの膝は擦り切れて中の脚が見える。
 その男性がいるのは商店街の脇の路地道なのだが、往来するもの老若男女誰一人その男性を気にかけたり、目を向ける者さえいない。あたかもそこには誰も、何も存在していないが如く普通に通り過ぎる。もしやあの男性が見えるのは私だけなのかと錯覚するくらい、誰もが無関心だった。炎天下のアスファルトの暑い地べたに座り込み、身もだえながら自動販売機に手を入れたり下をのぞき込んだりしているが、健康な人の動きではない。
 同じ世の中に生を受け、人の人生それぞれあるが、片や空調の効いた店内で朝食を食べる自分と、炎天下で不自由な体を揺らしながらアスファルトの地べたに座って身もだえている男性、それを考えると急に朝食が喉を通らなくなった。「このまま食べ続けるわけにいかない」と思った。
 普通のホームレスの人なら、それぞれの生き方もあるし、干渉することもないのだが、その男性をみていると、あの体でどうやってそれまで生きてきたのか、これからも大丈夫なのか、いや、これからどころか、この後、この日一日このままで生きていけるのか想像もつかなかったし、このままでは熱中症でいき倒れになるのではないかとさえ思った。
 朝食を途中でやめて、そのまま近くの交番に相談に行った。「地べたに座ったホームレス風の方がいる。身体が麻痺しているみたいであのままでは熱中症になるのではないかと心配で」と相談したら、警官から「倒れているなら交番じゃなくて、119番してもらっていいんですよ」と言われた。『慢性的な病状で、意識もある、倒れているわけではない』と思って黙っていたら、警官は「ちょっと自転車で見にいってみますよ」と、相談に応じてくれた。
 顛末が気になって、警官の自転車の後ろから、その商店街の方向についていった。商店街の入り口まできたら、警官がキョロキョロしているので、「お巡りさん、こちらです」と後ろから自転車を追い越して、先導した。
路地までくると、あれだけ10分以上身もだえいしていた男性が路地から忽然と消えていた。
 「ここにいたんですが・・・」というと、警官は路地の奥まで入っていた。その時、対面のスーパーの入り口で、路地から大通りに出て、やっぱり身もだえしている男性を見つけた。警官に「今スーパーの入り口にいるあの方です」と教えた。警官は男性に声を掛けてくれた。その間に私はスーパーに入り、冷えた水のペットボトルを一本買った。水は財布にあったバラ銭95円ぴったりだった。
 店を出るとお巡りさんはいなくなっており、男性だけがスーパーの入り口に身もだえしながら座っていたので、買った水の蓋を先に開けて、「どうぞ」と言って差し出した。男性は「ありがとう」と言って手を開いて握っていた110円の小銭を私に差出したが、そんなお金はもらえるはずもなく「いいですよ」と言って私はその場を去った。
 すると警官がどこからともなく私のほうによってきて「聞いたらこの近くに住んでいて家もあるようですから」と教えてくれた。本当に家があるのかどうかも分からない恰好だったが、とりあえず、生きるすべは持っているようだということが分かり安心した。警官に「有難うございました」と言って別れた。
 人が意識もなく倒れていれば当然119番はするが、あのホームレス風の方を目にした時に「人としてどうすべきか」という考えに直面してなにもせずにはいられなかった。かといって、私が関われること、できることも限られる。
実に天から自分が試された2日間であった。

脳検定をしてみたら2022年03月25日 18:35

最近、目の前にいる同僚に話しかける時一瞬相手の名前が出てこなくなったり、途中で何をしようと立ち上がったのか忘れてしまうようになって気になっていた。脳ドックをしても特に認知症も脳梗塞の傾向もなく、異常なしで診断された。それでもやはり思い出せないことが続いていた。

ちょうど脳検定のモニターを募集しているのを見つけ、やってみることにした。ある企業が認知症にも効くかもしれない健康食品を提供してくれこの食品を食べる前に脳検定をし、1か月食べ続けたあともう一度脳検定をして、その食品が脳の活性化に効果があるかどうか調査するモニターだ。

初めて脳検定をやってみたところ、なんと総合点が32歳並みの脳となった。実年齢より25歳以上も若いことになる。仕事をしているときも、自分でも頭の回転はわりに速いな、とはうすうす感じていた。ただ、最初にもいったが人の名前が出てこない。もしかしたら頭の回転が速すぎて、口が着いてこないのかな、とか楽観的に思うしかないか。

とはいうものの、この脳検定が意外にハードで相当の集中力と瞬発力を要する。分野を細かく分けて、一定の時間内に如何に迅速に、且つ間違えずにどれだけ多くの回答ができるかを多角的に測る。

どういう項目かというと

①数字の記憶: 画面で下図の羅列を見て、次の画面で覚えた羅列をランダムに指定された右から、左から入力していく、桁がだんだん増えていく)

②言葉の記憶: 画面で8つの物の名前を見せられ、次の画面で物の名前が出てきて、先ほどの8つに入っていたか否か答える)

③空間把握: ブロックを積み上げた立体形を見せられ、次の画面で、視点を変えた同じ立体形を見せられ、間違いをひとつ探す)

④記憶と計算: 数の羅列を見せられ、次の画面でまた数の羅列を見せられる、その次の画面で、1つ前の数と今見えている数を足し算した答えを次々と答えていく、進むにつれ、2つ前、3つ前と難度が高まる)

⑤変化推理: ある図形があり、ブラックボックスを通ると、その図形が変形していく。図形の変形結果を見て、ブラックボックスの規則性を答える。

一番お手上げだったのが③の空間把握だ。普段地図を見る時も、自分の位置を確認しながら地図をひっくり返したりすることがあるが、その弱点がもろに出た。図形を見せられ、見る視点を変えられただけで、もうどれが同じ図形か頭が真っ白になって分からなくなる。2度ほど受けなおして、やっと実年齢を少し下回る成績となった。

これくらいの図形なら即答できるが、段々図形が複雑になるにつれ、頭がまっしろになっていく。

この空間把握を向上させる何かいい訓練方法があったら知りたいものだ。半月後の食品摂取した後の脳検定や如何に、だ。

淡路島が兵庫県であること2022年03月23日 14:23

江戸時代は阿波の蜂須賀藩領地の一国だった淡路島。それが廃藩置県の時に、淡路島は徳島県ではなく、兵庫県に組み込まれた。そのきっかけにもなったのが庚午事変である。

阿波蜂須賀藩の筆頭家老の稲田家が1609年に淡路島支配を任されて以来、大政奉還までの約250年間、大名並みの石高を誇る淡路を支配し、洲本城城代として勤めてきた。

徳川家と深いつながりのある阿波藩に対して、朝廷とのつながりを深めていった家老稲田家。その亀裂が表面化したのが明治3年の「庚午事変」(稲田騒動)であった。

明治維新後、秩禄処分によって士族に編入されなかった稲田家臣が、阿波藩からの分藩独立を明治政府に願い出た。この動きに阿波藩藩士が反発し、1870年明治3年に、阿波藩士が稲田氏邸宅や稲田家臣の屋敷を襲撃し、死者17名、重軽傷者20名を数え、多数の屋敷が焼失し、貴重な資料もすべて灰となった。これが庚午事変であり、事件を先導した阿波藩士は切腹、稲田氏とその家臣は北海道へ移住開拓命令が下った。

洲本市内には稲田家歴代当主の墓や招魂碑が菩提寺にあるが、庚午事変後も何者かに石が投げられたりして、阿波と淡路の確執は続いていた。

これ以上の「内部」確執を避ける意味もあってか、廃藩置県の際に、淡路島を徳島県には組み込まず、兵庫県に組み込んだと思われる。 私の実家の裏は、昔切腹、首切りの場になっていて「稲田家の恨み」が今でも残っている、だから町内は皆、男主人が先に亡くなり、未亡人の家ばかりだ、と亡くなった父が生前よく言っていた。そう言っていた父も先立ち母が残され、確かにうちの家の周りはみな未亡人の家ばかりだ。

山灯籠完成時(大正時代)

洲本市内にある益習館:稲田家の西別荘で私塾として使われた。そこの庭園が国指定名勝になっており、明治維新の際には西郷隆盛や大久保利通も立ち寄って滞在したと言われている。

益習館庭園

現在の益習館庭園 石燈籠の大きさが圧巻

3.11の5日後にまた地震2022年03月21日 10:55

相馬の野馬追い
  3.11のことをつぶやいた5日後の3月16日夜に東北から東京にかけてまた大きな地震があった。私のほうは台所に置いてあったマグポットが床に落ちて、タンスがカタカタした程度であったが、南相馬の友人から翌日連絡があった。
  老齢のお母さんの介護もしながら、本人ももともと体調がすぐれないところへもって今回の地震。心身のダメージが大きいとのことだった。停電で真っ暗の中、道の駅駐車場へ避難してそこで一晩過ごしたそうだ。本来はお彼岸の買い物や家の支度をする予定が全て駄目になり、自宅の御仏壇もめちゃめちゃ、障子やトイレタンクの重い蓋までぶっ飛んだそうだ。一歩一歩でも環境が落ち着くことを望む。
  南相馬には3度を訪れて、お見舞いに伺ったことがある。1度目は東日本大震災から3年目、その友人と連絡が取れたその年に、勝手に岩手から南下する「復興応援旅」敢行し、最後に南相馬を訪れた。15年ぶりの再会だったので、それなりに盛り上がったが、私が訪問することへの負担を考えるとなかなか事前に伺うとは言えない。
 2度目は、東京からバスで相馬野馬追を見るツアーだった。ツアーなので、勝手な行動はできず、友人にも相馬に行くことは言わなかった。
 3度目に伺ったのは、たまたま福島へ行く用事があり、一日自由時間があるので、ついでにフラッとお目にかかりたいと連絡をとったら「用事があるから来なくていい」と言われた。それでも、家に上がらず顔を見るだけ、いなければお見舞いだけ家の玄関に置いていくつもりで家の前まできた。ピンポンをならすと在宅で、軒先で「元気そうな顔が見られてよかった。こちらが勝手に来たのでじゃあ、元気でね」とお見舞いを置いて帰ろうとすると、別棟の座敷に上がるよう引き留められ、1時間ほど話をして結局盛り上がった。
  家のことと体調で人と合うのも面倒なのは十分わかっているが、会ったら会ったで、話が盛り上がり、友人の気晴らしにもなる。横でお母さんも話に入って一緒に笑っている。
  無理くり押しかけるのも確かに迷惑かもしれないが、短い時間だし、こういうことも友人にとっては大事だと思う。
  東京にいる間に3度目にまた訪れたいと密かに画策している。

クリエイティブすぎる怪談2022年02月06日 19:00

最近ちょっとハマっているのが、YOUTUBEでの怪談話だ。占い師芸人で有名な島田秀平のチャンネルで、各分野の皆さんをゲストを招いて、友人知人から聞いたり本人が実体験した不思議なことを紹介している番組だ。

https://www.youtube.com/channel/UCr6Lhrp_ojKTcR_iHhTG-mg/featured

 毎回ゲストの怪談をきくにつれ、100人100様、しかもその内容も実に独特だがリアリティがあり、プロのクリエイターのフィクションでもなかなかそこまで思いつかないくらいイマジネーションと創造性が満載の展開だ。
 普通の人間が思いつかないくらい想定外の経験談だから、やっぱり人間の能力をはるかに超えた、嘘ではない真実の怪談なんだな、と思う。
 「信じるも信じないもあなた次第」とよく言われるが、「信じるしかない」というのが率直な感想である。

追:かくいう私も、社会人になったばかりの頃、沖縄市内の今はもうないビジネスホテルにチェックインし、部屋に入った途端普段感じたことのない胸騒ぎがした。別の部屋の同僚とすぐ外出予定だったので、一旦ドアを閉めて同僚の部屋に様子をうかがいにいき、じゃあでかけようかと、荷物を取りにもう一度自分の部屋に戻ったら、締めたはずの部屋のドアがパッカリと開いていた。恐る恐る部屋に入ったが、中には誰もおらず、その夜も特に何も起こらなかったが、30年経った今でも鮮明に記憶に残っている出来事だった。

長居無用の店2022年02月05日 20:25

 以前、現金を触るその素手でとんかつをつかんで揚げる店を紹介した。
http://onokorojima.asablo.jp/blog/2021/12/04/9445455

 コロナ禍で飲食店も大変だろうからと、外出したらできるだけ外食するようにしているが、今回も1軒、不愉快だった飲食店を紹介する。

 いつものお稽古ごとの帰り道夕食で初めて立ち寄ったこだわりハンバーグ専門店だ。コロナ禍で店内はガラガラだったがカウンターへ通される。
注文のジャンボハンバーグが出てくるまで5分程度の間、お稽古事で習った内容を忘れないようにノートに書き留めていた。ハンバーグをいただいてから、お替りでもらった2杯目の水を飲みながら、さきほどの備忘録の続きを書き始めて5分も経たないうちに、オープンキッチンにいた店主が私の後ろまでやってきた。
「ここでお仕事お勉強はやめてください」
店主が私を叱ったのだ。
ハンバーグを食べたあとも水一杯で1時間も2時間も粘っているならわかるが、食べ終わったばかりで水を飲みながら消化の時間も兼ねてノートにメモの続きを書いていただけ、入店してから食べ終わって店主に叱られて退店までが25分足らずの出来事だった。
 ノートに何か書くのが仕事・勉強と見なされ禁止するのに、スマホをいじるのなら長時間でも叱られなかったのか?
 また、何であれとにかく長居されるのが嫌なら、食後5分以内で客を叱るのはタイミングが早すぎる。状況を見極めてから客に注意すべきだ。
 度が過ぎたマイルールの飲食店、せっかくの美味しかったハンバーグが吹っ飛んで、店をあとにした。

たらい回し2022年01月23日 23:55

今日は右往左往し、たらい回しを喰らった一日だった。
携帯電話の機種変更しようと近くの携帯電話の店舗やらインターネットのオンラインショップやらに連絡してとんだ日だった。
電話に束縛される生活が嫌で、以前からプリペイド携帯を持っている。というのも、25年以上前に海外駐在の際に初めて会社から携帯電話を持たされ、土日休日問わず会社や現地社員の部下から仕事の連絡が来るのに気が休まらなかった。日本へ帰国してからいよいよ自分でも携帯を持たねばならない段階になって、いつでも断ち切れるようにとプリペイド携帯を始めた。以来ずっとこれである。今持っている携帯電話も12年前に2度目の機種変更したものでそれがいよいよ2024年に3G終了と共に使えなくなるという。
あと2年猶予があるので慌てず期限ぎりぎりまで機種変更せず今の機種で使い続けられるが、2年後に果たして私の希望するガラケーのプリペイド携帯機種があるかどうかわからない。通信会社としては私のような客は通信維持費だけかかって儲からない客である。NHKと一緒で都合の悪いことはあまり宣伝したがらないので、プリペイド携帯機種変更についてもサイトに分かりやすい所にも書いておらず、店舗でも対応対象外ですべて自分で解決せねがばならない。
いざ手続きしようとすると、ガラケーのプリペイド携帯ということもあり、レアケースで、朝からあちこち問い合わせてもなかなか正解にたどり着かない。通信会社と店舗の間で板挟みになり、日中ずっとたらい回しで疲れた。最後に正解を出してくれる部署と電話連絡がついたのが21時。やっとこさ翌日以降手続きが進められそうだ。
こういった携帯電話の手続きはネット上ででき、便利になったが故に機械的で、人による運用が通じなくなって、中高年にハードルが高いことを思い知った。正しい部署から正しい答えを引き出すのに苦労し、懲りた一日だった。

春の七草セットを買う2022年01月07日 19:39

 帰省先から上京する途中のJA産直市場で春の七草セットを見つけた。七種も入って100円。日本の物価デフレにも程がある。容器代と運送費、手間賃も出ないのではないかと心配になる。
 それでも沢山売れ残っていたので、3パック買った。帰宅したら早速おかゆを作ってみよう。

芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべら)、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ) 春の七草

淡路島と琵琶湖2022年01月02日 17:45

琵琶湖の全景を上空から
 我がペンネームの由来にもなっている兵庫県淡路島。淡路島と言えば、古代は朝廷の食糧供給地のひとつである御食国(みけつくに)としての存在で、淳仁天皇陵や国分寺があったり、大和豪族に因んだ地名も数多く残っている地である。最近では竹中平蔵のパソナが本社を移転した島として、島民や世間を騒がせている。
 一方で淡路島と琵琶湖の関係について知る方は少ないかもしれない。淡路島の面積が約592km²、だいたい東京23区やシンガポール島と同じくらいだとは言われるが、それらよりもっと共通点があるのが琵琶湖である。琵琶湖の面積が669㎢、しかも広さだけではなくその形も似ている。琵琶湖をすっぽり地面から切り取って、180℃回転して大阪湾に移動させればちょうど淡路島になるのだ。そのことを初めて教えてくれたのが奈良出身の会社のOBだった。なるほど、淡路島を創ったイザナギイザナミ神話より古代の地質学的な見地からの興味深い観点だった。
 先般伊丹空港から羽田空港に向かう途中、ちょうど琵琶湖のほぼ全体像を上空から初めて見ることができた。確かに淡路島をひっくり返したような形だった。こういうのを見るにつけ、神話以前の地球の歴史を感じる。

1年1年が正念場2022年01月01日 17:36

2回目の冬を迎えるハカラメ。冬ごもりのある晴れた日、お日様に当てる。

今回の新年もあっけなく迎えた。元旦からあまりネガティブなことうを言いたくはないが、デフレで成長しない我が国のGDPのお陰で、社会人になってこの30年ずっと閉塞感を味わってきた。武漢肺炎で更に人々の気持ちにまで行き詰まり感が増し、日本政府の経済・外交の無作為と愚策がじわじわとボディブローのように我々の生活にまでいよいよ響いてきた。
年末年始だけは「来年こそは」と気持ちを奮い立たせて多少明るい気持ちになるが、日常が戻ると、本当に1年1年をどう乗り越えていくかだけで必死になる。
気のせいではないと思うが、ネットニュースを見ていても人身事故、自殺、無理心中が増えているように思う。私のように楽観的であっても閉塞感を感じて政府に対して愚痴るのだから、ほとんどの国民にとっても今の日本はあるべき姿ではないように思う。
これからは私自身においても、我が国にとっても1年1年が正念場になるであろう。「なんとかなる」「誰かがやってくれる」では気づいたときには本当に取り返しがつかない状態になっている可能性がある。

人間世界に閉塞感が充満している中、自然界はこれまでと変わらず、毎年のように春には桜が開花し、秋にはイチョウの葉が落ちて、動物が冬ごもりをする。2年目の冬を我が家で迎えたハカラメも暖かい季節の間に十分生長し、今は手先で害虫を駆除しながら不織布で覆って越冬中である。