日本人の3つのタブー~宗教編~ ― 2019年11月03日 22:22
~タブーその3 宗教~
日本人は外国人から「あなたは(もしくは日本人は)何の宗教を信仰しているのか」と聞かれたら、だいたい「特に信仰している宗教はない」と答えるのが大方だろう。普段は神社に行って願い事をし、結婚式はキリスト教で上げ、葬式は仏教で、と〝TPO″に合わせて使い分けているからだ。キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教を信じる外国人にとって、日本人が「特段の信仰もなく生きていること」は「よりどころなく生きている」ことと等しく理解に苦しむらしい。
新渡戸稲造もドイツ留学の際に同じようなことを聞かれ、同様に日本人は特に信仰する宗教はないが、生き方のよりどころになるのが武士道であると説明した。
私も以前なら日本人の宗教は「特になし」と答えていたが、今なら、「神道」だと答えるだろう。
神道はもともと、山や太陽、岩、樹木など身近な自然を崇拝するところから始まり、崇拝対象が「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言われる所以である。従って世界の主要な宗教のように1つの絶対的神がいて何かを認め、その他は認めないといった排他的側面もない。神道はすべてのものを神と崇め感謝する非常に懐の広い原宗教である。神社は何かをお願いするところというよりも感謝しに行く場所であり万人を受け入れてくれる。だから神社はお寺のように門もなく、いつでも誰でも受け入れてくれる場所なのである。その神社の「大祭司」が日本の天皇であり、天皇陛下は国と万人のために祭祀を行い常に祈る存在なのである。
このたび長崎の「隠れキリシタン」が世界遺産に登録され脚光を浴びているが、キリスト教がもともと日本に入ってきた時も、最初は織田信長も豊臣秀吉もキリスト教とはどのようなものか宣教師から話を聞いたり一部布教活動を許していた。ところが、キリスト教はキリストを唯一の神として崇拝する宗教であるが故に、日本の信徒がお寺や仏像、祠を壊しはじめ、宣教師に付いて来た商人が日本人を人身売買で奴隷として連れ去ろうとして、キリスト教の排他的負の側面が露わになってきた。とかく迫害され踏み絵を踏まされる悲劇の隠れキリシタンだけが紹介されがちだが、そこに至るまでの「プロセス」も歴史においては非常に重要である。
日本人は外国人から「あなたは(もしくは日本人は)何の宗教を信仰しているのか」と聞かれたら、だいたい「特に信仰している宗教はない」と答えるのが大方だろう。普段は神社に行って願い事をし、結婚式はキリスト教で上げ、葬式は仏教で、と〝TPO″に合わせて使い分けているからだ。キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教を信じる外国人にとって、日本人が「特段の信仰もなく生きていること」は「よりどころなく生きている」ことと等しく理解に苦しむらしい。
新渡戸稲造もドイツ留学の際に同じようなことを聞かれ、同様に日本人は特に信仰する宗教はないが、生き方のよりどころになるのが武士道であると説明した。
私も以前なら日本人の宗教は「特になし」と答えていたが、今なら、「神道」だと答えるだろう。
神道はもともと、山や太陽、岩、樹木など身近な自然を崇拝するところから始まり、崇拝対象が「八百万の神」(やおよろずのかみ)と言われる所以である。従って世界の主要な宗教のように1つの絶対的神がいて何かを認め、その他は認めないといった排他的側面もない。神道はすべてのものを神と崇め感謝する非常に懐の広い原宗教である。神社は何かをお願いするところというよりも感謝しに行く場所であり万人を受け入れてくれる。だから神社はお寺のように門もなく、いつでも誰でも受け入れてくれる場所なのである。その神社の「大祭司」が日本の天皇であり、天皇陛下は国と万人のために祭祀を行い常に祈る存在なのである。
このたび長崎の「隠れキリシタン」が世界遺産に登録され脚光を浴びているが、キリスト教がもともと日本に入ってきた時も、最初は織田信長も豊臣秀吉もキリスト教とはどのようなものか宣教師から話を聞いたり一部布教活動を許していた。ところが、キリスト教はキリストを唯一の神として崇拝する宗教であるが故に、日本の信徒がお寺や仏像、祠を壊しはじめ、宣教師に付いて来た商人が日本人を人身売買で奴隷として連れ去ろうとして、キリスト教の排他的負の側面が露わになってきた。とかく迫害され踏み絵を踏まされる悲劇の隠れキリシタンだけが紹介されがちだが、そこに至るまでの「プロセス」も歴史においては非常に重要である。
最近のコメント