「LGBT」のご都合主義2021年08月22日 23:20

 東京五輪は「初めてLGBTの選手が出場した」オリンピックだとマスコミが紹介する。いや、いや、ちょっと待て。レズやゲイのオリンピック選手なら今までにもいたでしょう?わざわざカミングアウトしていないだけで、男子○○競技や女子△△競技のオリンピック選手がいて、その彼や彼女がたまたまゲイやレズビアンなだけであって、そんなことはこれまでにもあったはずだ。
 それが東京五輪になってからこのLGBTのマスコミの取り上げ方がちょっと違ってきた。つまり、心は女性だから、その男性が女子競技に出ることを認めよ、というものだ。
 それはダメだ。なぜ、スポーツ競技の女子・男子の区別に、LGBTだけ選手個人の「性」の嗜好をもちこむのか?おかしいよ。

・オリンピックは身体的に健常者のなかで、各競技の優秀者を競うもの。
・パラリンピックは身体的に障害のある者のなかで競うもの。
・スペシャルオリンピックスは、身体的には健常だが、知的障害をもつ者たちがスポーツ競技を競うもの。

 これらは、いずれも身体的に同じ条件の者の間で競うのであって、生物学的観点から第三者からも客観的にも区別できる。
 ところが、マスコミが取り上げる「LGBT」だけは、身体的なものではなく、「性」の嗜好をスポーツ競技に持ち込もうとしている。これはおかしい。心が女性だからと身体的に男性が女子競技に出ようとする。これは女性に対する著しい差別であり、アンフェアである。ならば、心が男性のレスビアンの女性が男子競技に出るかというと、身体的に劣勢なため、出場できない、と社会矛盾としてマスコミが取り上げる。これが私に言わせればご都合主義だというだ。ならば、身体的障害のあるゲイがパラリンピックの女子競技にでるのか。身体を使う競技にLGBTだけが性の嗜好という「心」の問題を持ち込むことの歪さだ。
 LGBTの人々が競技に参加することを否定しているのではない。一般競技に参加したいなら、性の嗜好という「心」の問題は持ち込まず、遺伝子学的性別に基づいた枠で(つまり男性に生まれてきた人は男子競技に)参加するべきである。「心」の問題でそれに耐えられないなら、LGBT専門の競技会を開催し、競えばいい。それがフェアというものだ。