修理した本にタイトル文字を入れる2021年07月02日 22:43

明治時代の地理の教科書を修理した。表紙の布はカビがついたように白くなってすり減っていた。ハードカバーに使われている表紙のボール板はそのまま使うことにし、上から新しく緑色のクロスを新調し、背表紙にタイトルを入れた。パソコンで打ったタイトル文字をコピー用紙に印刷し、コピー紙と背表紙の間に金のロール箔を挟み、コピー用紙の文字を上からホットペンでなぞると、隷書風のタイトルが金文字で出来上がった。

『新式日本地理』 池田鹿之助著
明治36年3月26日 内田老鶴圃発行
丸背上製本

オリジナルタイトルを生かす2021年07月03日 20:30

表紙が外れかけている神社祭式に関する古書を装丁しなおした。平(ひら)の青い部分はもともとのクロス。赤い部分の「平ので」は背と表紙の接合部分(溝という)の布が弱くなっていて、同じ赤系で張り替えた。もともとの背表紙にあった本のタイトルは金文字でまだ使えそうだったので、張り替えた平のでの赤いクロスの上からタイトルを切り取って貼り付けた。

『新撰 祭式大成』調度装束篇
皇典講究所 国学院大学講師 金光慥爾著
昭和17年5月20 明文社発行

『古書修復の愉しみ』の装丁を愉しんだ2021年07月04日 18:53

今絶版になっている『古書修復の愉しみ』という本の中身だけ手に入れたので、自分の好きな装丁を愉しもうと以前紹介した。
https://onokorojima.asablo.jp/blog/2021/03/13/9356708
それが完成した。表紙は2年ほど前に布屋さんで見つけた米国製の西洋本のプリント柄の生地に和紙を裏打ちして使った。背中は山羊革を使い疑似バンドを付けた。中身はこれから読むが、製本家である著者が職人としての経験を綴ったものであるようだ。

丸背片袖装上製本疑似バンドつき 本かがり
『古書修復の愉しみ』アニー・トレメル・ウイルコックス著
2004年白水社発行

生き残っているハカラメ2021年07月05日 00:05

小笠原から持ち帰ってきたハカラメがここ内地の寒さに耐えかね、また私の育て方が悪く今年の正月に瀕死の状態になった。そのうちの残った葉を何枚か春先まで保存し、暖かくなってから育て始めた。ハカラメ(葉から芽)はその名の通り、葉のフチから新芽と根っこがでてくる生命力の強い外来種で、別名マザーリーフともいう。
風前のともし火のハカラメ

新芽が3ミリほどだったのが、ゆっくりではあるが春の太陽を浴びて今では6センチほどまでに成長した。冬に葉が枯れ、残っていた茎をそのまま捨てずに土に放置していたら、ここからも新芽が出てきた。もともと生命力が旺盛だと聞いていたのだが、育つ環境さえ取り戻せば確かに潜んでいた生命が復活した。まだまだ本来の勢いはないが、このまま静かに成長を見守りたいと思う。


島からの贈りもの2021年07月12日 19:31

小笠原のハカラメ
知り合いの知り合いの方から、小笠原から摘んできた貴重なハカラメをいただいた。小笠原と言えば、山全体を要塞にした戦跡が残っている父島や本土決戦を避けるために先人たちが戦った硫黄島(いおうとう)がある。 自宅でかろうじて命をつないでいるハカラメに比べると、葉の大きさも数倍以上ある。小笠原からここ内地への長旅からか、生き延びるために葉の端っこから既に新芽が出始めていた。先人や英霊の息吹を感じながら、しっかり育てていきたい。

110年前の日本~日本寫眞帖~2021年07月13日 00:05

古書店で背表紙がガムテープでぐるぐる巻きにされた写真集を手に入れ修理した。

日本寫眞帖 Japan, Her Country and People
明治45年3月(1912年) ともゑ商會発行
足継ぎ表紙(背表紙クロス張替え)

北は樺太から、南は沖縄、臺灣、西は朝鮮・満州まで、日本の隅々の110年前の風景や人々が掲載された写真集である。私が目に止まった興味深い写真を逐次このブログで紹介しようと思う。コメントでリクエストがあれば、皆様がお住まいの街の110年前もアップいたします。

我慢大会に終止符を2021年07月15日 23:51

日中の気温も30℃に近づき、そろそろ皆さんの我慢も限界が近づいている。マスクだ。私は先週あたりからマスクを止めて外出、電車にも乗っている。冬場なら行き交う人の中には私の睨み付ける人もいたが、この暑さの中、私を見る目もどこか羨ましげな様子だ。

私にとってマスクを外すことの利点はというと
・周りの人がマスク越しに呼吸しているので、その分私は新鮮な空気が思いきり吸え、脳に酸素が十分運ばれ、頭も気分も冴えている
・適度に空気中の雑多なウイルスや菌に曝露しているので免疫が維持されている

それにしても日本人の皆さんはこんな暑さの中本当に真面目にマスクをしていて感心する。一体誰のためなのか。自分が感染しないため、それとも人に感染させないため?若い人ほど我慢しきれずマスクを顎の下まで下げたり、私のように全くマスクをしないで歩いている若い女性を都心で1日に2~3人見かけるようになった。一方弱弱しいご老人がマスクをしている姿をみると心配になって「熱中症になりますからマスクを取ってください」と声掛けしたくなるが、マスク信仰者にとっては余計なお世話だろう。
職場でも私の隣の席にマスク信仰の女性が転勤してきた。隣の席とはアクリル板があるので、黙って机に向かって仕事するときも私はマスクを外している。それを見た隣の転入者が、翌日からマスクを2枚つけだした。ウイルスを染されるのが心配なのだろう。私がつけない分まで彼女がマスクを2枚つけてくれ有り難いもんだと思う。
その彼女、マスク2枚で酸素が薄いからか、一日中あくびをしている。またワクチン接種を受けた翌日から熱を出して会社を休んだ。マスクをせずワクチンも打たない私のほうが元気なのはたまたまなのか。

製本工房の怖い親方もマスク反対派だが、教室では生徒の手前仕方なく口元だけのフェイスシールドをしている。その親方が「ワクチンを2回打ったのでこれでマスク外せるかな」と珍しく嬉しそうな表情で言っていた。ワクチン接種とマスクは全く無関係だが、ワクチンを信仰してそれでマスクが取れるならそれでもいいと思う。先生がマスクを取れば、私も堂々と工房でマスクを外せる。

大正震災寫眞集を修復2021年07月18日 21:11

寫眞集つながりで、次に大正震災寫眞集を修復した。つまり関東大震災発災直後の東京、神奈川の様子を写した写真集だ。2年ほど前に池袋の老舗古書店八勝堂が閉業するというの知り、立ち寄ったときに購入したものだ。買った時には背表紙が透明のガムテープで補強されていた。ガムテープは本にとって一番最悪の材料で、テープの粘着部分は不可逆性がないので、紙を傷めるだけでなく変質もさせる。シール剥がしで丁寧にガムテープを剥がしたら、表紙のボールが本体から外れた。

表紙内側の見返し紙と遊び紙を新しい【金砂】の和紙で貼り直し、本文をつないでいた錆びた100年前の釘を抜き、足継ぎ表紙はそのまま活かして、これらを青い新しいクロスで包んで補強し赤いリリアン糸で表紙、本文を綴じて修復が完了した。

【大正十二年九月大正震災寫眞集 関東戒厳司令部】
大正十三年三月五日 偕行社発行
上製角背足継ぎ表紙 天金

110年前の日本~東京編~2021年07月20日 22:30

先般ブログで修復を紹介した日本寫眞帖の中から110年前の日本各地を紹介したいと思う。
日本寫眞帖の修復

今回は110年前の東京の風景を紹介する。
【二重橋】
宮城は旧江戸城と称し長禄元年鎌倉管領上杉定正の臣、大田道灌の創築する所にして上杉氏の居城たり大永四年小田原の北條氏綱之に代わるに及び城池を修理し氏政の時復再び修築せり。天正十八年徳川家康関八州に封せられ入りて居城となす。慶長十一年藤堂高虎に命し諸侯に役を助けしめ大に規模を拡大し城郭を改築せしむ。当時其の他地域二十二萬三千百八十二坪を包有す。以て其殿閣樓廊の如何に壮大なりしかを想見するに足る。徳川氏子孫伝承十有五世。明治元年四月十一日慶喜之を朝廷に致すまで二百七十九年間徳川氏累代の居城たり。此月車駕京都を発し十月十三日江戸城に入らせ給い。改めて東京城と称し翌二年三月、ここに皇居を奠められたり。六年五月北隅火を失して萬城に延焼す。乃ち赤坂離宮を仮皇居と為し後十一年即ち明治十七年皇居の造営に著手し二十一年十月工就り翌二十二年一月十一日新宮に遷幸あらせられたり。即ち今の宮城にして東は前苑、西は吹上、北は本丸、皆壘濠を以て限り宮関殿樓其中に在り圖は正門の景にして前面の石橋を旧西丸大手橋と曰い上なる鉄橋を旧西丸下乗橋と曰う。二層重畳するの観あるを以て世に二重橋と云う。

【日本橋】

日本橋川に架し通一丁目より室町一丁目に通ず。慶長八年の創架にして幕府時代には江戸の里程元標なりしか。今に至るも日本首府の中樞を占めたり。現今の橋梁は明治四十三年の新設にして工費五十萬圓を要し全部花崗岩を用い白玲瓏として美観他に比なし。橋頭日本橋の字は前の十五代将軍徳川慶喜の筆蹟なり。此の橋より江戸橋までの北側には有名なる魚市場あり。毎朝の雑踏筆紙に盡すべからず。

【白木屋百貨店】


【東京帝國大学】

本富士町にある構内の面積十萬二十五坪建坪一万七千余坪にして中央にある泉地、丘陵等は旧加州藩邸の庭園育徳園の名残なり。本大學は大學院及法・医・工・文・理・農の六文科大學より成り大學院は学術技芸の薀奧を攻究し分科大學は学術技芸の理論及び応用を教授するところにして農科大學は別に荏原郡上目黒村にあり、圖は世に赤門と称うる通用門なり。

【御茶の水】

聖堂の西女子師範学校前に在り、幕府の時、茶用に供せし名水なり、神田川掘割の時までは猶お其遺址を存したりしか。享保年間、川幅を広むるに当たり其蹟全く廃し今は鉄橋を架して電車を通せり圖は其上流より見たる所にして、中央に見ゆる高閣はニコライ大聖堂なり。

【内神田遠望】
圖は萬世橋停車場楼上より内神田方面を望見したる所にして中央に見ゆるは軍神廣瀬中佐の銅像なり、中佐か第二回旅順閉塞に於いて壮烈なる最後を遂げ長く海戦史上に勇名を馳せたるは既に世人の記憶に新たなる所、銅像と相対して白亜二階建ての水菓子兼洋食店あり軍神軒と云う。右方高くビールの電気広告は札幌ビーヤホールにして其下方なる清心丹の電気広告は市内最初の電気広告なりと云う。此地電車各線路の交又點に当たり東行するものは両国より本所に北行するものは上野を経て浅草に、西南は三田、青山、新宿、及び江戸川方面に、而して坦南道を指せるは日本橋を過ぎて品川に至る。各線の岐るる所、乗る人、降りる人、其雑踏殆ど名状すべからず殊に付近は有名なる多町の市場にして午前中の光景の如き眞に肩摩轂撃(けんまこくげき)或人之を評して親不知子不知町称す蓋し過言に非ずと謂うべし。

【上野公園 竹の臺邊花時の景】


【浅草公園 仲見世】


【浅草公園 第六区活動写真館前の景なり】


【品川停車場】
高輪南町に在り東海道線の第二駅にして山手鉄道の分岐点に当たり上野、新宿、赤羽方面に向かう者の乗換所なり。現在の建物は明治二十九年の建築に係る。

政府が敗北宣言した東京五輪2021年07月22日 20:33

政府の愚策により30年間デフレで落ち込んでいた日本のターニングポイントにするべく、また武漢肺炎で人々の身体と心を荒んできた全世界をグレートリセットするために1年延期し、やっと開催にこぎつけた東京オリンピック2020であった。だがこの場に及んで日本政府自らが敗北宣言した形での開催となった。

【残念なポイント】
①55年前と同じ季節がいい一番10月に開催すればいいのに、アメリカンフットボールの季節と重なるからとあくまで酷暑の7月に開催する商業的理由により、選手たちのことを考慮しないこととなった。
②オリンピック利権にかぶりついた電通に運営全般を委託したことにより、イベント関連のプロデューサー、ロゴデザイナー、音楽監督等ことごとく電通色の曰く付き人物であったことから世間からの批判にさらされ、浅薄さが目立つグズグズの連続だった。日本の伝統も重んじず、単なる「電通利権イベント」となった。
③武漢肺炎を恐れるあまり、責任をとる覚悟がない日本政府が無観客を決定したことにより、選手のモチベーションも国民の一体感の醸成も大幅に削がれた。(大相撲、プロ野球、高校野球は観客を入れている)

その中でも航空自衛隊は55年前と同じくブルーインパルスによる祝賀の準備が整った。明日はいよいよ開会式だ。