東京五輪考③ ― 2021年08月10日 18:15
東京五輪2020の開会式、閉会式のプログラムの中身を見ていると、勘違いが多かった。今どきの東京の街と題して、若者が街でスケボーしたり、縄跳びしたりする風景を再現したり、お笑い芸人や日本の女優と子役を使ってミュージカルや寸劇を始めたり、「国際的なもの」を表現しようとしているだろうが、日本人が見ても外国人選手が見せられても、痛々しく却って内向きな「国際」「グローバリズム」の押し売りであった。
インターナショナルとは、NATIONつまり国家と国家との間の往来(インター)であって、まず国家があることが前提での「国際」「インターナショナル」である。
国家を消して「外国風」のものを表現することが国際的だと勘違いしているきわめてドメスティックな内容に、創る者の発想の貧困さを感じた。
大竹しのぶのつまらないミュージカル寸劇が終わった後、民謡歌手による東京音頭と盆踊りが始まった。これこそが「ザ日本」であり、外国人選手の表情も見る見るうちに明るくなり、中国人選手ですら一緒に踊り始めていた。
グローバリズムや無国籍の薄っぺらさと、我々先祖の人が作り出し継承してきてくれた日本を見せることこそが本当の「国際」であることを、痛々しい開会式、閉会式を見て改めて認識した。
インターナショナルとは、NATIONつまり国家と国家との間の往来(インター)であって、まず国家があることが前提での「国際」「インターナショナル」である。
国家を消して「外国風」のものを表現することが国際的だと勘違いしているきわめてドメスティックな内容に、創る者の発想の貧困さを感じた。
大竹しのぶのつまらないミュージカル寸劇が終わった後、民謡歌手による東京音頭と盆踊りが始まった。これこそが「ザ日本」であり、外国人選手の表情も見る見るうちに明るくなり、中国人選手ですら一緒に踊り始めていた。
グローバリズムや無国籍の薄っぺらさと、我々先祖の人が作り出し継承してきてくれた日本を見せることこそが本当の「国際」であることを、痛々しい開会式、閉会式を見て改めて認識した。
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