外国で見つけた日本地図 ~アメリカ1832年編~2019年10月18日 15:15

1832年ロンドン出版地図 Pacific Ocean
アメリカ東海岸のボストンからバスで3時間ほど南下したところにニューベッドフォードという港町がある。江戸末期高知県沖へ漁に出て遭難したジョン万次郎がアメリカの捕鯨船に助けられそのまま連れていかれ青年期を過ごした街であり、あの小説『白鯨』〝MOBY DICK”にも登場する捕鯨基地でもある。
このニューベッドフォードには捕鯨博物館があり、アメリカ捕鯨全盛期の捕鯨に関する道具や資料が展示してある。展示物の中に、1832年ロンドンで出版された≪Pacific Ocean≫という地図が展示してあった。アメリカ大陸から支那大陸にかけての太平洋一帯を印刷した縦2メートル、横3メートルくらいの巨大地図。展示解説には捕鯨船が太平洋を出て支那大陸や日本近海までの航海で実際に使用していた地図と書いてある。地図を見ると、船がだどった航路や船員が見つけたと思われる景色に目印が鉛筆で書き加えられている貴重な地図だ。
その中でも祖国日本列島がアメリカ視点でどう描かれているのか目を凝らして観察し非常に興味深かった。
この地図で私がわかったことは以下の通り。
①1832年の時点でも西洋において、日本海はSea of Japanと記載されており、当然韓国が一方的に主張している「東海」ではない。
②日本列島の稚拙な描かれ方を見ると、伊能忠敬の死後1821年弟子たちにより幕府に献上された精密な伊能図は、1832年の時点でもまだ公には西洋に流出していなかった。(シーボルト事件は1828年)
③尖閣諸島周辺は〝Rock″「岩」として表記されている。船員たちが寄港するに値しない単なる「岩」と認識していたのか。
④船員が鉛筆で地図上に書いた線をたどると、捕鯨船など西洋の船が既に日本沿岸をなめるようにウロついていたことが見て取れる。日本は鎖国していたため、当然彼らは寄港こそしていないものの東北・北関東・高知沖の目の前まで西洋の船が迫っていた。

鎖国して「安心・安全」だった江戸時代の日本。日本を狙う西洋の足音がこの地図からもヒタヒタと聞こえてきた。

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追:日韓、モナコで非公式協議=日本海呼称めぐり
10/19(土) 16:14配信 時事通信
 【ソウル時事】日本海の呼称をめぐり韓国が「東海」への改称や併記を求めている問題で、日本政府は18日、モナコで韓国政府と非公式協議を開催した。韓国外務省が19日、発表した。協議には北朝鮮や米国、英国の代表も参加した。
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米国・英国の代表の方へ:この地図見てから協議に参加してください。

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